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「死因が分からない」という、辛さともどかしさ。

ちょっと油断している間に、スガイの残り3匹のうち1匹が動いていないことに気づいた。岩の上に乗ったままでいる場合、基本的には軽く手でさわって岩にくっついていることを確認する。今回も確認したつもりだったのだが、岩にくっついているように思えただけで、実際には岩とボトルのガラスの間が狭かったので動かなかっただけだったようだ。 もっと早くに気づいてやれば対処できたのに・・・毎度激しい後悔に襲われる。特に具合が悪そうな感じでもなかったから、死因が分からない。寿命かもしれないし、そうでないかもしれない。原因が分からないから、どうしても自分のせいにするしかない。貝たちを飼っていて一番辛いのは、こうした原因の分からない突然死である。 フタを完全に閉じていても、まだ生きていれば背中(=貝殻)を優しくなでてやると頑張って顔を出す。その場合は、早めに対処してやるとまた持ち直すこともけっこうある。だが、今回は背中をなでても全く反応がない。もう駄目かもしれない。 ここのところ貝たちが相次いで死んでいる。原因はそれぞれ違うかもしれないが、冬の間、1匹も死なせず安定を保ってきたのに、ここ2ヶ月ほどでバタバタと死んでしまったので、ショックも大きい。原因が分かれば対処もできるが、それが分からないからもどかしい。  ←チラー式 vs ペルチェ式→ 

水位が足りない! アクリル容器の水量を3リットル追加。

カミハタ・リオプラス800は、やはり多少強すぎると感じるようになった。しかし、夏に本格的なチラー式クーラーを使いたいなら、最低でもリオプラス800以上の流量が必要だから仕方がないと思っている。この状況でできることと言えば、水量をできる限り多くして水流を少し穏やかにすることくらいだ。また、リオプラスシリーズにはエアレーションのできるパーツが付いているのだが、このパーツを取り付けても、ある程度の水量がないとうまくエアーが入り込まないということも分かってきた。 さらに今朝、真夏になったときの予行演習として、マツたちの入っている3つのボトルをアクリル容器の底を埋め尽くしている岩の間に置いてみて、どの程度容器内の水位が上がるかの実験もしてみた。すると、やはりアクリル容器の底面積が大きすぎるのか、思ったほど水位は上がらなかった。水位が上がらなければ、いくら容器内の水を冷やしてもその中に入っているマツたちのボトルまでは十分に冷えなくなるだろう。 マツたちのボトルは魚と違って水で満タンなわけではない。岩組みの頭を一部出し、そこで休んだりエサを食べたりできるようにしておく必要がある。しかもボトルのフタは基本的には閉まった状態であるから、上部の水のない部分の空気も冷やさなければマツたちはダウンしてしまうだろう。したがって、できるだけボトルの上部まで水に浸かるよう、かつ、ボトルが水没してしまわないよう、適度にアクリル容器内の水位を上げておかなければならない。 そんなわけで、これまでは6Lの水量で回してきたが、もう少し増やしてみることにした。マツたちのボトルを入れたまま、水位に注意しながら3L追加した。正直まだ足りないと言えばそうだが、取りあえずはこのくらい入っているとそれなりの水位に達する。ポンプの水流の勢いは相変わらず強いままではあるが・・・ これで合計9Lの水が、アクリル製容器の中で岩の間を巡っていることになった。記録として残しておく。

マツの大好物――「わかめ美人」

以前にも少し書いたが、生の海藻が手に入らない場合にマツが好んで食べるものの一つは「中国産乾燥ワカメ」である。輪島の朝市で手に入れた奥能登産の乾燥ワカメよりも、この日本全国どこでも手に入る安価なもののほうがはるかにお気に入りらしい。いや、もしかしたら生の海藻よりもマツのお気に入りかもしれない。奥能登から仕入れてきた生の海藻よりもこの乾燥ワカメを入れてやったときのほうが、即座に食べ始めるからだ。いったいその理由は何なのかマツに一度でいいから聞いてみたいのだが、さすがにこればかりは人間の言葉のしゃべれないマツから直接聞くことはできずにいて、大変もどかしい。 さて、私のように磯の巻貝を飼ってみたいとか、磯の巻貝がかわいくてかわいくて仕方がないとかいう「酔狂な方々」のために、今日はその製品名を具体的にご紹介しようと思う。製品名は「わかめ美人」というものだ。大きめのスーパーや、食品も扱っているドラッグストアならば、おそらく全国どこででも手に入る製品と思われる。もし近所の店には置いていないということなら、下記のリンクからアマゾンで購入も可能だ。値段も200~300円程度とお手頃である。100g入っており、私の場合はタマキビ5匹にメインのエサの一つとして与え続けているのに、半年たっても半分も減らないからコストパフォーマンスも最高である。 それにしても、この製品名がどうしても気になってしまう。マツは「美人」になりたいのだろうか? う~ん、分からん・・・ カルシウムなどの栄養分がかなり含まれているというのがウリの製品なので、マツの欲する栄養素がたくさん含まれているのかもしれない。もちろんマツだけでなくほかのタマキビたちも食べてはくれるが、この製品への食いつきっぷりが尋常でないのはマツだけである。

人工海水の作り方、半歩だけ前進(?)

これを前進と言うのかどうか・・・? ほとほと自分の不器用さと、手先を使うことに関する異常なまでの頭の回らなさに呆れているのだが、人工海水を一度に少しだけ多く作れるようになったので記しておく。 ことの発端は、先日、岩の藻を維持するために塩田の親方からいただいたアクリル製の容器を使って、水流ポンプで水を回し始めたところにある。もっと水は少なくていいと思っていたが、実際にはポンプを動かせる最低限の水位に持っていくのに6Lの海水が必要だった。 今までの私は飼育水の交換用にしか人工海水を必要としなかったから、せいぜい2Lも作り置きしておけば十分だった。2Lのペットボトルに2Lの海水を作るのは、キッチンスケールやボトルの容量の制限があって無理だから、毎回1Lずつ作っていることは先日書いた通りである。 6L必要となって、とてもじゃないが1Lずつ6本なんて無理だ!と思った。そのとき、ようやく気づいたのだ。1.5Lずつ作ればよかったのだということに。2Lだとたしかにキッチンスケールの重さの範囲を超えてしまうし、ボトルからもあふれてしまうが、1.5Lだったら重さも量れるし、1Lにつき人工海水の素を36g必要とするのだから、その1.5倍の54g入れればいいと分かる。 まったく小学生の算数みたいなところでつまずいていたのだから、自分の間抜けさ加減に呆れてしまう。何はともあれ、これで少しはまとめて人工海水が作れるようになったので、やれやれである。 ↓私の使っている人工海水「ジェックス・シーウォーター25」はコチラ。

シロちゃん(アラレタマキビ)の死を認めざるを得なくなった。やりきれない。

ここのところ本当にトラブル続きで、ずっとあちこちに電話で問い合わせをしたり、相談したりばかりである。中でも、たちの悪い某ネットショップに引っかかって、相手の表示ミスが明らかなのに、こちらが不当な要求をしているかのように言われてモメたことは、あまりにも間が悪かった。(ちなみにYahoo!ショッピングの某米穀商、つまり米屋) このやり取りの最中に「カツーン」という音がしてシロちゃんが水槽の底に落ちたのに、私はショップとのやり取りに必死になって、結果的にシロちゃんを見殺しにしてしまったのだ。シロちゃんは本当に生命力が強くて、私はひょっとするとマツと同じく最も長い付き合いになる貝かもしれないなと感じていただけに、その子が私のこんなどうしようもないゴタゴタの犠牲になってしまったなんて、あまりにもやりきれない。 性格も個性的で面白い子だっただけに、シロちゃんのいなくなった水槽はとても寂しい。先ほど仕事から帰ってきて水槽のフタを開けたら、貝が死んだときの臭いが漂い始めていたので、とうとうシロちゃんを水槽の外に出さなければならなくなった。シロちゃんが死んだ、という事実を突きつけられたのだ。 当分、立ち直れないと思う。私の身辺のトラブル続きもショップのことだけではないし、自分の生活だけで手一杯でも、やっぱりマツたちに対する責任をいつも感じながら生きている。それが重い。とにかく重い。もう何もかも投げ出したい。  ←チラー式 vs ペルチェ式→ 

イシダタミ飼育のコツ

イシダタミはエサが難しいと何度かこのブログでも嘆いているが、唯一コツがあるとすれば「一度にたくさん飼わないこと」に尽きると言える。結局彼らが好きなのは岩に生えた特定の藻だから、何匹もいれば簡単に食べ尽くしてしまう。一時は10匹近くいたのだが、3ヶ月ほどたったあたりから次第に大きいものから次々と力尽きてしまい、今は小さいのが3匹と中くらいのが1匹しかいない。そのうち小さいの1匹と中くらいの1匹は食糧が足りなくて痩せてきてしまったので、緊急避難的にマツたちタマキビの水槽に移してやったところ、すっかり馴染んで居座ってしまった。タマキビとはエサがかぶらないだけでなく、タマキビが水槽を適度に汚してくれ、それがイシダタミの好むエサとなるため、この組み合わせはわりとうまい具合に共生させられるようだ。 現在、元のイシダタミ専用の水槽には、1センチもない小さなイシダタミが2匹だけ。ちょっと寂しい感じだが、特段エサをやっていなくても、生えてくる藻だけで元気いっぱいに暮らしている。以前、残りの4匹を同居させていたときにはこんなに元気ではなかった。だから、十分なエサを供給するためには2~3匹にとどめておくのが一番よい対策だろう。それも、あまり大きな個体ではないほうがよい。彼らは大食漢だからだ。小さいイシダタミを2~3匹なら、生えてくる藻が足りなくなることは避けられる。長期的にどうかはまだ分からないが・・・ 岩崎哲也『磯の生物――飼育と観察ガイド』(文一総合出版,2005年)には、イシダタミは大きな個体のほうが丈夫とあるが、私の水槽では比較的小さな個体のほうが丈夫で元気に走り回っているし、長生きもするようだ。エサが限られていることと関係しているかもしれない。

夏の水温管理対策、ようやく第一歩。

シロちゃんのことで大変落ち込んで、もう何もしたくない気分だったが、残された貝たちのためにと、夏対策の第一歩をようやく具体的に踏み出したので記録に残しておきたい。 先日、カミハタ・リオプラス180というポンプを購入して、本当にこれでよかったのか迷っていると書いたが、今日、800と交換してもらってきた。800は流量が8L/分、つまり、480L/時である。これに変えた一番の理由は、クーラーの選定だった。ペルチェ式とチラー式のちょうど中間ぐらいのオリジナル過ぎる水槽の状態である私の場合、どちらを使っても適合するようなポンプを買っておいたほうがよいと考えたのである。 ペルチェ式だと一番小さなもので50~400L/時の間、チラー式だと同じく一番小さなもので300~900L/時の流量が必要だ。どちらを買うかは決めかねているし、できればしっかりしたチラー式を買って安心したいのだが、ポンプの流量が大きめとなるので、水槽の中が洗濯機のようになっては困ると不安だった。 そこで、流量が約192~480L/時の間で調節できる、リオプラス800を買ってみることにしたのである。もしこの最大流量で洗濯機になるようだったら、どう考えてもチラー式の導入は無理。ポンプを使ってみて判断しようと決心した。それで、取りあえず車で県境を越えて30分ほどのところにあるアクアリウムショップに行って、先日の180と800を取り替えてきた。 家に帰るとすぐに塩田の親方からいただいたアクリル容器にありったけのサンゴ砂を敷き詰め、その上に能登の海岸から拾ってきた藻のついた岩を置き、人工海水を大量に作って入れてみた。岩で埋め尽くすから大丈夫と思っていたが、想像以上に水量を必要とし、6Lほど入れてようやくリオプラスの本体が水没する状態になった。(リオプラスは、本体を完全に水没させて使わないと故障する) そして早速リオプラスを稼働。生まれて初めて水流ポンプなるものを使うので、最初はおっかなびっくりであった。リオプラスのいいところは、初心者でもいろいろと工夫して使えるように、本体以外のいろいろなオプションパーツが最初からおまけでくっついてくるところだ。その中には、ディフューザー(いわゆる「ブクブク」のエアレーション)のチューブも入っていて、なかなか気が利いている。 私の場合は、とにかく岩の間を水が常に

「共時性」

私が心に余裕をなくすと、なぜかそれと同時に貝たちにも何らかのトラブルが起きることが多い。それを「偶然」で片づけるのは簡単だが、私はこれは一種の「共時性」ではないのか?と感じることがある。「共時性」とはユングによって提唱された概念・・・のはずであるが、学校から離れてだいぶ経つのと、もともとがあまりにも不勉強なために、この程度のことも断言できないのがもどかしい。そこはそれ、「草稿ブログ」だから、こうした自分の未熟な面もそのまま文章にできるのが唯一の救いである。 いずれにしても、私が「共時性」という言葉を使って表現したいのは、生きとし生けるもの、みなどこかでつながっていて無関係ではないということだ。それはもちろん「生態系」という科学的なレベルでもそうなのだが、「心」とか「意識」あるいは「精神性」といったようなレベルにおいてもそうなのではないか?ということである。マツたちと暮らしていくうちに、最初は「偶然だろう」と思っていた彼らの行動が実はそうではないらしい、ということを次々と実感する場面に遭遇した。生きとし生けるものがみなつながっているのなら、マツたちとは一緒に暮らしているのだから、なおさら一層つながっていても何ら不思議はない、今は普通にそう思う。 昨日記事にしたシロちゃんだが、どうやら復活はかなわなかったと思われる。まだ死んでしまったとは断言できない状態なので水槽に入れてあるが、元気な頃のシロちゃんの活発さ加減を知っている私にとっては、今のシロちゃんはただの貝殻にしか見えない。だから、たぶんもう「魂」はそこにないのではないか、と薄々感じている。シロちゃんはアラレタマキビだからとても小さな体をしているが、うちに来た当初からとても「やんちゃ」で「タフ」だった。私はいつもそんなシロちゃんの姿に元気づけられていた。私がまだ水槽のコントロールが上手にできずに、しばしば水質をまずい状態にしてしまっていたときも、シロちゃんだけはいつも元気に動き回っていた。 だから、シロちゃんに限ってこんな早くに死んでしまうなんて私は想像だにしなかった。実際、昨日も昼間は元気にマツたちの背中にくっついて、あちこち運んでもらっていたし、私はシロちゃんのその「ちゃっかり」したところが、とても微笑ましくて好きだった。たぶん昨晩仕事でテレビ電話をしていたときに聞こえた「カツーン」という音が、シロち

「カツーン」という音――「サルも木から落ちる」ならぬ「貝も岩から落ちる」

「カツーン」という音がするたび、水槽の中を覗いて「点呼」を取るクセがついてしまった。 ご存知の通り巻貝たちは基本姿勢として、岩やガラスに張り付いているものだ。しかし、「サルも木から落ちる」ではないが「貝も岩から落ちる」ことがある。爆睡してしまったり、何かの拍子にうっかり、といった感じで転げ落ちるのである。もちろん、ごく稀に病気などで弱っていて落ちることもある。そのときの音が「カツーン」である。貝殻が下に落ちる際に岩に当たる音で、場合によっては「カツーン、コロコロ」といった音になることもある。 海の中であれば水の大きな動きがあるから、ちょっと転げ落ちたくらいでは彼らは何ともない。すぐにその水の動きをうまく利用して体勢を立て直し、またどこかの岩にしっかりとつかまることができる。ところが、人工の環境、しかもほとんど止水に近い環境下では、落ちた場所が悪いと他の仲間が通りがかりでもしない限り、どこにもつかまれずにもがき続けてしまうことがある。そして体力を失って、運が悪いとそのまま力尽きてしまう。だから、「カツーン」という音がしたら、できるだけ早めに必ず水槽の中を覗くようにしている。たいていの場合はつかまる場所があるし、私もできるだけ手は貸さないで貝が自分の力で元に戻れるようにしている。しかし、落ちた場所が明らかにまずくてこのまま起き上がれないと判断した場合には、岩組みをどけて「レスキュー」しなければならない。 何時間か前「カツーン」という音がしたので後で水槽をチェックしないとと思いつつ、電話などへの対応でチェックできないでいた。寝る前に覗いてみると、アラレタマキビのうちの1匹、シロちゃんの姿が見えない。小さな体だから、岩の裏側などに張り付いていると分からないこともあるので丁寧にチェックしたが、いない。すると、底砂のサンゴ砂(少し粗目なので小さな石といってもよい)の上にひっくり返っているのに気づいた。シロちゃんはその名の通り、全体がかなり白い色をしている。そして、サンゴ砂も白い。だから、なかなか気づかなかったのだ。身を全部出しているところを見ると、だいぶもがいていた様子。他の貝の背中に乗せてもらって甘えるのが上手なシロちゃんだが、その最中にどこかにぶつかって転げ落ちてしまったのではないだろうか。これはすぐにレスキューしないと、小さな子だから力尽きてしまう。 大慌

奥能登の「カジメ」は、実は「カジメ」ではない? 「アラメ」との違いは?

奥能登はとにかく魚貝類の種類が豊富である。東京で生まれ育った私にとって、寿司ネタにするイカひとつ取っても覚えきれないほどの種類があるということには、それだけでも大変な魅力を感じる。 奥能登に観光旅行に出かけたら、たいていの人が一度は口にすることになる海藻は季節によっても違いはあれど、アオサ、カジメ、ギンバサあたりであろうか。これらは汁物や酢の物などで出されることが多い。 さて、カジメがマツたちのエサとして使える話は先ほど記事にした通りだが、今、ウイキペディアで「カジメ」について調べていたら、ちょっと疑問に思うことが出てきたので記す。 私は、岩崎哲也『磯の生物――飼育と観察ガイド』(文一総合出版,2005年)でスガイのエサについて調べていて「アラメ」を食べさせるとよいとあったので、「はて、アラメとはなんぞや?」と検索してみたら、海藻図鑑のようなサイトにて別名が「カジメ」であると書かれているのを発見し、「アラメ=カジメ」と思い込んでいた。実際、先ほどの記事にもそう書いてしまった。 ところが、ウィキペディアで「カジメ」を調べると、カジメとアラメはよく似ているが別モノらしい。しかも「カジメ」は「日本では主に本州中部太平洋側と九州北部に分布する」とあって、日本海側にはあまりないような書きっぷりだ。 奥能登には、しばしば独特の魚貝類や海藻の呼び名というものがある。たとえば、私の大好物である、輪島の朝市で売られている「ハチメの一夜干し」。この「ハチメ」は方言のようなもので、実は魚の分類で使われている「ハチメ」とは違い、一般的な名称としては赤魚のことである。このご時世だからか、最近は朝市でも「ハチメ」ではなく「アカウオ」と表記するようになってきているが、私はこれを少々残念に感じている。土地の伝統的な言葉なのだから「ハチメ」のままでもよいのではないだろうか? だから、もしかしたら能登で「カジメ」と呼ばれているものも、実はそっくりだけれども違う種類の海藻なのかもしれない。マツたちのような磯の巻貝もそうだが、こうしたものは人間の生活に大変身近な存在でありながら、いざ学術的に分類しようとすると非常に難しいらしい。すべての種類を研究者が正確に把握し、完全に分類できているかと言ったら、たぶん違うだろう。 奥能登の「カジメ」についてまた何か分かったら、追って記事

巻貝が藻をかじる「音」――ボトル飼育だからこそ気づけた興味深い生態!

私はボトルアクアリウムにこだわり続けるつもりはない。マツたちが元気で人生ならぬ「貝生」を少しでも楽しんでくれるなら、いくらでも違う形で飼育を続ける覚悟である。私はアクアリウムがしたいのではなく、マツたちと一緒に暮らしたいだけなのだ。 ただ、ボトルで飼育してきたからこそ気づけたマツたちの興味深い生態というのが、いろいろとあったことはたしかだ。最も私が気に入っているのは、マツたちが岩の藻をかじる音である。それは「カリカリ」とか「ガジガジ」とかいった、耳を澄まさないと絶対に聞こえない本当にささやかな音だ。 マツたちのような「シタダミ」は小さな歯のようなものを1本持っており、それで目に見えないような微小藻類を岩からかじり取って食べる。ガラスに張り付いて一生懸命に口を動かしているときには、その小さな歯がよく観察できる。 このかじり取る「音」だけは、海で観察しても、本格的な研究用の水槽で観察しても、絶対に聞こえないのではないかと思われる。止水のボトルの中で飼育したからこそ、私は彼らが一生懸命に生きようとしている姿を、この「音」を通じてリアルに感じ取ることができた。大げさでなく彼らのその「音」から感じる生命力に励まされてきた。 これから夏に向けて、今のままの形態では飼育が難しくなるだろう。水槽用のクーラーも入れなければならないし、そのための水流ポンプも動かすことになる。マツたちに快適な夏を過ごしてもらうためには仕方がないのだが、この「音」がこれからはあまり聞けなくなるのだと思うと、ちょっと寂しくもある。

「ジェックス・サイクル」の効果

私がマツたちを半年にわたって飼育してきた中で、おそらく欠かせない存在であると思われるのがジェックスから出ている「サイクル」という製品である。いわゆる水質調整剤なのだが、発売された当時はかなり効き目が強力であるということで話題になったらしい。 私は他の水質調整剤は使ったことがないし、アクアリウムショップに行くとオリジナルの似たようなものが売られていたりするから、もっとよい製品もあるのかもしれないが、評判もよいので今のところはこれを使い続けている。最初は小容量のものを買ったが、今は大きな500mlのものを使っている。そのほうが安いからというのもある。この製品自体は、決して安いものではない。初めて使う場合は、多少割高でも小容量のものを手に入れて試してみたほうがよいだろう。ペットコーナーのあるホームセンターなら、たいていどこにでもあるはずだ。 貝類は水をよく汚す。大食漢だし、その分、糞もたくさんするからだ。自然の海ならそれがそのままスムーズに濾過されるが、ボトルの中の止水ではいずれ濾過されるにしても時間がかかるし、その過程で有害物質の発生によって生体を苦しめ、下手をすれば死に至らせてしまうケースも多い。だが、この製品を使うと濾過の過程を助けるバクテリアがたくさん入っているので、そのサイクルがとても速やかに行われるようになるらしい。実際、水替えをするほどではないが、ちょっと糞が多くて臭うなというときにこれを入れて1時間ほど待つと、飼育水が元のきれいな潮の香りに戻っている。何よりもマツたちが元気に動き出すから、水質が改善されたことはすぐに目で見て実感できる。 昨年10月末からマツたちを飼育し始めて、まだアンモニアや亜硝酸との戦いの真っ最中だった11月の半ばに、私は1週間ほど留守にしなければならなかった。そのときに心配でいろいろ調べた結果、試してみることにしたのがこの製品である。使い慣れない薬剤を入れて留守にするのは勇気が必要だったが、結果的には留守中も水槽の状態は安定しており、マツたちは無事だった。こうした水質調整剤に疑念を抱く人も少なくないのだが、あのときにこの製品を買っていなかったら今のように飼育は続けていられなかったであろうと思われるので、私自身は一定の効果はあると考えている。また、今のところ、特に副作用のようなものも感じない。

巻貝(シタダミ)たちが、私を奥能登に結びつけてくれた。

私の中では「奥能登=シタダミ」である。 初めて奥能登を訪れたのは、今からもう15年近く前になる。当時まだ学生だった私は、既に廃止となってしまった「急行能登」という夜行列車を使って上野から金沢まで行き、そこから奥能登特急バスに乗り替えて、まるまる12時間以上かかって輪島に到達した。車の免許すら持っていない時代だったから、現地ではレンタサイクルを利用したり、本数の限られたローカルバスを時刻表とにらめっこしながらうまく活用したりして、輪島から珠洲へとつながる最も奥能登らしい外浦の海岸線の眺めを楽しみ、揚げ浜塩田での塩づくり体験もして、今もお世話になっている親方とも知り合った。 結局、奥能登と私を結びつけたものは「シタダミ」、つまり、マツたちの仲間だったのではないかという気がする。太平洋の海とはまた違う、黒く険しい奇岩が連なり、荒い波しぶきと独特の潮騒に、濃い美しいブルーをした海面。潮だまりを覗いてみるとマツたちの仲間がたくさんいたし、他にもカニやきれいな色をしたイソギンチャクがたくさんいた。当時はその名前すら知らなかったが「シタダミ」を手にとって、手のひらの上で遊ばせてみるとかわいくて、またその感触が新鮮で、実に楽しかった。海の豊かさを心から実感できたのだ。子どもじみていると思われるかもしれないが、奥能登の外浦に行って「磯遊び」を楽しまないのは、人生を半分以上損していると言っても過言ではないと本気で思う。 今振り返ってみると、塩田の親方のみならず、あれがマツたちとの出会いでもあった。まさかそのときは、こんな風にマツたちと暮らすようになるなんて思いもしなかったが。私がなぜマツたちを東京で飼うことになったのか、この話はこれからも断片的に少しずつ続くことになるだろう。

生のカジメ(=アラメ)は、かなり使える。

奥能登の知人に勧められて、先日の能登旅行の際にはスーパーで生のカジメ(=アラメ)を手に入れることにかなり力を入れた。知人によると、水槽で飼っているアワビが好んでカジメを食べるから、カジメはシタダミたちにもけっこういけるのではないかということだった。また、カジメの場合は冷凍しても劣化することがほとんどなく、1年ぐらいは人間用の食材としても普通に保存できるそうだ。 しかし、帰ってきてからすぐにカジメを水槽に入れてみたが、最初の食いつきはあまりよいとは言えなかった。せっかくたくさん買ってきたのにとがっかりしていたところ・・・もうそろそろ傷み始めるから取り出そうか?と思って見てみると、スガイやタマキビ、そして何とアラレタマキビまでもが口にしているではないか!! アラレタマキビは口が特に小さいから無理だと思っていたのだが、柔らかくなれば食べるようだ。そして、カジメを食べた貝たちはみんなゴキゲン♪である。さすがは輪島産のカジメと感心。なお、イシダタミについては、カジメに手を付けたかどうかは定かではないので、もう少し様子を見てみようと思う。

カミハタ・リオプラス180・・・挫折。

さんざん悩んでアクアリウムショップでカミハタ・リオプラス180を購入した。税込で1800円少々だった。流量は3.6L/分である。 流量の調節幅や水槽とする容器の形状などよく考えて決めたつもりだったが、帰宅してからあらためて考えてみると、今後買い足す水槽用クーラーを取り付ければ、最悪流量が勝手に半分くらいまで落ちるということを計算に入れていなかった。それに3.5L/分程度の流量なら、1000円弱で売られている簡易フィルターと大して変わらない。わざわざリオ・プラスを買う必要性もないのではないかと気づいた。 さらに、そのショップは基本的にはネットよりも安いのだが、なぜかリオプラスの180だけはネットより200円くらい高かったというのも、私の挫折感を大きくしてしまった。店に行ったときは600(6.8L/分)か800(8L/分)のどちらかに決めるつもりでいたし、この2つに関しては間違いなくこのショップが安かったから、シリーズすべてについてこの店が底値だと思い込んでしまっていたのだろう。 私はこうしたさまざまな面から検討しなければならない買い物(特に機械類)は、必ず一度は失敗して返品・交換といった話になる。自分でもウンザリする。全体をバランスよく考えて決めるということが「超」が付くレベルで下手くそなのだ。 せっかく600か800とまで絞ってあったのだから、180などという極端な方針変更をすべきではなかった。今までも土断場での方針変更で大学受験の出願先にも失敗するなど、人生の方向性を大きく変えてしまうこの思考の「クセ」には随分泣かされてきた。そしてまた今回もやってしまったというわけだ。ただもちろん、600や800にするのは勇気もいる。クーラーをつながない時期にはかなりの流量となり、かえって面倒なことになる恐れもあるからだ。180くらいのほうがお試しではちょうどいいかもしれず、しかし値段が高いのが気に入らない・・・というこのコダワリ体質。 寝不足になると余計判断力が鈍るので、取りあえず寝てから明日返品・交換するかどうかを考えたい。

水替えポンプは失敗。

ダイソーで水槽用の水替えポンプを買ってきた。私は岩組みを元に戻すのが大変苦手なので、ポンプで水だけ取り替えられたら楽だろうと思ったからである。この製品自体はネットで調べてみると、某大手メーカーの製品と遜色なく、かなり使えると評判であった。灯油用のポンプを水槽用に少し形を変えたものと思えばよい。 今日、岩の高さがあまりなく、その代わりに水を多めにしてあるイシダタミ用の水槽の水を取り替えたかったので、さっそく使ってみることにした。ところが、ホースが約168センチもあるためか、水槽と受け側の容器の高低の位置関係を変えてみても、水量が少なすぎてさっぱり吸い上げることができなかった。「小型水槽用」とうたってはいる商品だが、ボトルの超少水量の人のことまではさすがに考えていないと思われる。 いっそのこと、灯油用のポンプのほうが短くて楽かもしれないから、今度新品のものを買ってきて試してみようかと思う。本当は水槽用のこのポンプの長さを改造して短くすればいいのだろうが、私にそんな器用なことをする自信はない。とにかく岩組みを毎度元に戻せないことで苦しんでいるので、何とか水替えポンプは欲しいところである。 ↓こんな形をしている。ただし、ダイソーのものにはキスゴムは付いていない。

私の人工海水の作り方

私の人工海水の作り方は、慣れた方からしてみたらまったく「なっていない」やり方だと思うが、記録として残しておく。 私が使っているのは、ジェックスから出ている「シーウォーター25」という製品である。(下記リンク参照) 人工海水はどれもそうだと思うが、粉末を水に溶かせばよい。 これはアマゾンの購入記録によると10月25日に買っているから、マツが私の家にやってきたわずか5日後のことである。マツを飼いたいと思ったときに、一番に私の頭を悩ませたのが海水の調達だった。当時は「海なし県」の岐阜県にいたから、その点が最も心配だったのだ。実際には本当に難しいのはそんな問題ではなくて、エサの調達だったり、水槽の中に生態系を作ったりすることであると、後で次第に分かってくるのだが、まったく無知であるとはお気楽なものである。このとき買ったシーウォーターはまだ半分もなくなっていない。天然海水との併用だからというのもあるし、人工海水だけでやったとしてもボトルでの飼育なら25Lも海水が作れればそう簡単にはなくならないだろう。 この製品で気に入っている点は、カルキ抜きが同時にできるというところ。そのくせ値段も手頃だし、大きな水槽ではない人にも使いやすい量で売られているのも嬉しい。私は最初にこの製品を買ったから、類似の製品はみんなそうなのだと思っていたが、他の製品はカルキ抜きと併用するものが多いようだ。カルキ抜きと併用したら二度手間になって、かなり大変なのではないだろうか? 私の場合はカルキ抜きの成分が入っているということを利用して、水替えなどに使う道具を水道水で洗った後に、念のために軽くこの人工海水ですすぐという使い方もしている。 シーウォーターは、1Lの水道水に対して約36g混ぜるのが標準的な使い方である。私はまず2Lのペットボトルの容器の重さを量った後、それプラス1000g(=1L)になるように水道水を入れる。ペットボトルは53gなので1053gになるまで入れるのだ。重量はデジタル式のキッチンスケールでチェックする。そして、1053gに36gを足して1089gとなるように調整。最後にペットボトルのフタをしめて、よくシェイクすれば出来上がりだ。 せっかく2リットルのボトルを使っているのに、なぜ1Lしか作らないのかと不思議に思うかもしれない。実はこれには改善が必要なのだが、今

イシダタミが食べていたものは・・・?

先ほどボトルを覗いてみたら、具合が悪くなったのをきっかけにマツたちタマキビのボトルへと一時的に移し替えてやっていたイシダタミが、一心不乱に何かを食べている姿を発見。このイシダタミ、タマキビたちのボトルに入れてからやせ細っていた体も持ち直し、すっかり元気になっていたのだが、いったい何を食べているのか不思議だった。藻だけならもともとの水槽にもあるはずだから、何か私のやったエサを食べていなければおかしいのである。 はっきりとは見えなかったのだが、どうやらマツたちが手を付けないままになってしまったヒジキをかじっている様子だった。ヒジキの端っこがイシダタミの口が動くのに合わせて揺れていたからだ。イシダタミがまさかヒジキを食べるとは思わなかったので、これには驚いた。そしてその後は、エサ置き場になっているその岩の周りをガジガジとかじる音が響いていた。 イシダタミは固形物としての普通の海藻にはめったに手を付けない。朽ちかけてドロドロになり始めたあたりが、彼らの好みにあっているという私の仮説はやはり正しいような気がする。そして、それによって人間の目には見えないレベルで、岩にも彼らのエサになるものが付き始めるのではないか? それが海藻のエキスのようなものなのか、それとも他のものなのかは分からない。 とにかくイシダタミは人間によって与えられたエサを直接的に食べることはめったにないと言っていいだろう。言い換えれば、二次的に発生したものを食べるから、イシダタミ単体で飼育するのではなく、他の貝たちと一緒のほうがいいのかもしれない。イシダタミの数も随分少なくなってしまったから、この際、他の貝たちと一緒にしてみようかと検討中である。

構想中の水槽システム――誰に相談しても分からない!!

この前奥能登に出かけたとき、マツたちに食べさせる海藻とともに持ち帰ったのは、揚げ浜塩田の親方から譲っていただいた「水槽のようなもの」である。タテ44センチ、ヨコ44センチ、高さ34センチのアクリル板の容器なのだが、何に使われていたのかは不明。親方が徹夜で塩を釜で炊き上げるときに休む小屋の前にいつの間にか捨てられていて、親方も持て余していたとのこと。雨水でドロドロになっていたが、塩田の大きな水道で軽く洗ってみるとけっこうきれいになったし、小さな私の車にもギリギリで載せられたので、ありがたくいただいて帰ってきた。 同時に、マツたちの水槽に入れてやるための藻のついた岩(ライブロック)も奥能登の海岸で拾ってきた。ライブロックは生体と同じように扱わなければ、デッドロックになってしまう。以前、拾ってきたときは、梅酒用のビンに海水を入れてその中で保管していたのだが、水流がないのでどうもよろしくない。今はまだ気温が低いからいいが、夏になったら真っ黒になって完全に駄目になってしまうだろうと専門家から言われたので、少しばかり無い知恵をしぼってみた。 親方からいただいた容器にサンゴ砂を薄く敷いて、その上にライブロックを置く。44×44ならちょうどいい面積である。そこに、ライブロックがちょうどかぶるくらいの高さ(せいぜい15~20センチ程度)まで、天然または人工の海水を入れる。水流ポンプを入れて、水を循環させる。循環させることによって、間接的に軽くエアレーション(=空気を混ぜ込む)も狙う。そして、夏真っ盛りになったら、このポンプに水槽用の冷却装置を取り付ける。冷たい海水が回っているこの水槽の岩の間に、マツたちのボトルを置いてやることによって、ボトル内の水温低下も期待できる。 システム的には一応成り立っていると、アクアリウムショップの店員さんやアクアリウム用品のメーカーの方からは言われた。だが、問題はその「さじ加減」だ。水流ポンプと一口に言っても、いろいろな強さのものがある。44×44の水槽は決して大きなものではないから、あまり強いものを選ぶと洗濯機のような状態になってしまう。岩に藻を生やしたいのなら、あまり強い水流はかえって逆効果である。一方、水槽用の冷却装置を付けるなら、ある程度の水流があったほうがよい。そしてこの「ある程度」の水流の度合いも、ペルチェ式という安価で補助的な冷

「教科書通りにやることだけがアクアリウム」なのか?――「前例のない道」を歩いて分かってきたこと。

水槽の夏対策で本当に頭が痛い。 一般的な水槽システムならば、だいたいどんなクーラーを使えばいいかカタログ値で分かりそうなものだが、私の場合はまったく独自のシステムを自分で考えなければならないからだ。ただでさえ不器用で空間把握を要する工作系のものが大の苦手だというのに。私はこうやって文章を書くのは何時間でも何文字でも苦にならないが、工作系の作業は30分もやっているとあっという間に目が回ってくる。小学校では図工の時間が、中学校では美術や技術・家庭の時間がまさに「地獄」であった。凸凹人間の最大の弱点である。 今般の水槽システムについては、誰に相談しても「やってみないと分からない」という答えしか返ってこない。このブログの趣旨とは違うし、個人情報でもあるので現時点では深くは語らないが、それは私の人生そのものを象徴していると言ってもいいほどで、今に始まったことではない。とは言え、「前例のない道」を自分で切り開くのには毎度多大な勇気と心身のエネルギーを必要とする。若い頃にはそれこそが生きがいだったが、最近は「いつまで続くんだろう、こんな生活・・・」とウンザリすることも少なくない。「年を取ったな・・・」と、その度に痛感する。 ただし、こういう前例のない道を歩いてみないと分からないこともたくさんある。言い方は少々乱暴だが、こういう道を歩いた人間にしか気づけない「社会の歪み」や「他人に対する接し方・見方」というものがあるのは間違いない。いろんな人に前例のないことを相談してみると、残念ながら馬鹿にしたりあざ笑ったりする人が9割以上と思ったほうがよい。これはある意味、世の中全部を敵に回したかのような状態だから、その精神的なプレッシャーは尋常ではない。ところが、それにもめげずにさらに進んでいくと、ある日突然、本気で同じ目線で一生懸命考えてくれる人に出会う。この「他人と共有できた」瞬間の喜びや感動は、前例のない道を歩いた者にしか得られない貴重なものと言える。そしてそうやって「共有」できた人たちとは、長いお付き合いになることが多い。 今回のことでも、奥能登の方々や生物学をご専門になさっている研究職の方々、大型ホームセンターやアクアリウムショップの店員さん、アクアリウム用品のメーカーのインフォメーションセンターの方々など、さまざまな方々に随分お世話になったし、今もお世話になっている

海洋生物にとっての「適温」とは?

今日の東京は、数日続いた異常な蒸し暑さが一段落して落ち着いた天候である。昨晩は急に気温が下がり、マツたちの水槽の水温も15~16度くらいまで低下して焦った。冬に活用していた、アマゾンからの荷物の空き箱の中に断熱シートを敷いたものがあるのだが、その中に3つのボトルを入れてやり、急激な温度変化を防いでから就寝した。 昼間はやはりそれなりに気温が上がるので、今日はダイソーの大きめの洗濯用のたらいに水を半分くらい入れて、その中に3つのボトルを置き、扇風機を「弱」にして軽く気化熱現象を起こしている状態。たらいの水にも水温計を付けているが、20度ジャストで保てているから狙い通りである。 海水のアクアリウムでは水温22~23度くらいから25~26度くらいまでが適温とよく言われるし、機器を使ってその温度に保っているという話はよく聞く。しかし私は、一年中同じ温度にするだけが一概にいいとは言えないと考えている。もちろん一日のうちの大きな変動は避けたほうがよいが、長期的には季節によって水温に変動があるのが当たり前で、それぞれの適温があるのではと思うのだ。少なくとも能登の海は春先から初夏にかけてはほぼ10度くらいで安定している。だから、できるだけそれに近い温度のほうがマツたちも喜ぶはずである。 観察していると、彼らはけっこう精密な体内時計を持っていると分かってくる。したがって彼らはおそらく時間だけでなく、季節もしっかりと感じ取って生活しているはずだ。そうだとすれば、まだ春なのに今の時点で25~26度の水温だったら、かなり不快なのではないだろうか? 実際、20度くらいにしておいてやるとかなりゴキゲンな様子である。昨晩も16度くらいに下がったときのほうが、むしろ元気に活動していた。

不思議な「接着剤」

特にマツたちタマキビ(アラレタマキビ含む)で顕著なのだが、「接着剤」と私が勝手に名付けている面白い生態がある。 彼らはゆっくり休みたかったり、外部の環境があまり心地よくないとき、フタをしっかりと閉めてしまう。でも、それだけだと不安定だし海で大きな波が来たら簡単にさらわれてしまうから、岩や、水槽の中であればガラス面などにそのままでぴったりくっつけるように、「接着剤」のような粘液を出して貝殻のフチの周りを固定する。この「接着剤」が感動するほど素晴らしい粘着力なのである。ちょっとやそっと水がかかっても、まったく外れない。 以前、寒さの厳しい時期にマツがずっとフタを閉じたままでガラスにくっついていたので、もしや具合がわるいのかと不安になってちょっかいを出したことがある。貝殻を軽く叩いたくらいではびくともせず、生存確認も取れなかったから、割り箸で貝殻をつまんで引っぺがそうと試みた。ところがそれでも外れない。最後の手段で指でつまんで剥がそうとしたのだが・・・かなりの力を入れても剥がれない。 ウンウンと格闘してようやく剥がれたと思ったら、貝殻のフチとガラス面の間には強力接着剤をチューブから出した時のようなしっかりとした透明な糸と膜のようなものがビヨヨ~ンと現れた。そして貝殻の中からは、「うるさいな~、いったいな~に~???」と言わんばかりに、眠い目をこすりながら(?)不機嫌そうなマツが顔を出した。もちろんヌシがマツに平謝りしたことは、言うまでもない。 今でもときどき、あまりにも長い間フタを閉じて張り付いている貝がいるときにはこの方法を取って生存確認をすることがあるが、いつも剥がした後には透明な接着剤を少し厚みをつけて盛ったようなゼリー状のものがしばらく残る。それはいつの間にか消えてしまうのだが、水で流しても簡単には取れるものではないし、どういうタイミングで消えるのかはまだ分からないままである。こうした生態に気づく前、マツのすぐそばのガラスにヒビが入ったように見える部分があって気になっていたのだが、どうやらこの「接着剤」の痕跡だったらしい。貝殻のギザギザに合わせた形になるから、ヒビのように見えるのである。 この「接着剤」、成分を調べたらとても優秀な本物の接着剤が作れそうなのだが、どこかのメーカーが挑戦してくれないものだろうか? 水にも強いし、安全性も高いし、素晴

ペルチェ式かチラー式か? 水槽用クーラーの選定について。

ここ2週間ほど、水槽用クーラーの選定がなかなか進まず困っている。もたもたしているうちに急に暑くなったので、余計焦ってしまっている。 水量が少ないとは言え、私のシステム構築プランだとペルチェ式では不十分かもしれない。今日はエアコンをつけっぱなしにして仕事に行ってみたが、帰ってきてもあまり部屋は冷えておらず、水温も下がったとは言えなかった。以前よりも広いアパートに住んでいるせいなのか、日当たりがよすぎるせいなのか、窓枠エアコンの効きがあまりよくないのである。6畳間もろくに冷やせないのなら、その冷気を隣の部屋に流して、そちらに水槽を設置するなんてことはもちろん無理。では、マツたちのためだけにもう一つ窓枠エアコンを買って、隣の部屋に設置するか?・・・と考えて、ふと気づいた。もう一つエアコンを買ってペルチェ式を使うくらいなら、最初から高価なチラー式(コンプレッサー式)のものを買ったほうがいいのではないか?と。 現在、購入検討中のペルチェ式クーラーは、以下の2つである。 1.ゼンスイ・TEGARU(テガル) 2.テトラ・クールタワーCR-1 NEW/CR-2 NEW/CR-3 NEW TEGARUのほうが製品としては新しい。ここ半年くらいで出回り始めたもので、まだ十分なユーザーの情報がない。ただ、アマゾンなどのレビューはかなりいいようだ。小型で軽いこと、インテリア性のある見た目であることに加え、冬にはヒーターとしても使えるというマルチな性能を持つ。そして、肝心の冷却能力もけっこう強力な様子。クールタワーの約2倍の値段だが、十分に冷やせるのなら1年を通じて使えるこの製品には魅力を感じる。だが、メーカーに電話して情報を集めてみると、ペルチェ式は寿命がそもそもあまり長くないそうだ。せいぜい2シーズンくらい使うつもりで考えておいたほうがいいとのことで、そうだとすると、そのために高価な機器を買うのはちょっと不安である。 クールタワーはこの手の製品では知名度が高い。ただ、水槽の大きさの目安はCR-1、CR-2、CR-3にそれぞれ一応はあるものの、実際にはその通りの水量で使うと十分な冷却能力が得られなかったというレビューも少なくない。これについてもメーカーに問い合わせたところ、一言で言えば「大は小を兼ねると考えてもらってかまわない」とのことで、予算の許す限り大

タマキビのエサ

イシダタミのエサ、スガイのエサについてそれぞれ書いたので、残るマツたちタマキビのエサについても、現時点で分かっていることを記録しておきたい。 イシダタミ、スガイ、タマキビのほかに、今までオオコシダカガンガラ、コシダカガンガラ、クボガイなども飼育してきたが、最も飼いやすいと感じたのはタマキビである。なぜなら、彼らはあまり食べ物を選り好みしない。与えられたもので「取りあえず食える」なら、何でも食べてしまう生命力の強さがある。おまけによく観察していると、他の貝たちよりも人に懐きやすく、頭もなかなかよい。現代生活に適応しやすい柔軟性も備えている。 タマキビたちは貝のくせに水が嫌いで、岩の上にあがっている時間のほうが圧倒的に長い。これは進化論的に言うと、海から陸に移動していく途中にあるということで、そういう意味では他の貝たちよりも進化していると考えられる。頭がいいのもそのせいなのだろうか? 特にマツの逞しさは目を見張るほどで、私はヤツの生命力、行動力に私も随分励まされて毎日を送っていると言っても過言ではない。今までマツが食べたものを、実際に私の目で確認した限りにおいて以下に記すが、実際にはヤツのことだから他にもいろいろ食べているに違いない。 1.おむすび用の黒海苔 2.干しわかめを戻したもの 3.干しひじきを戻したもの 4.能登の海岸で拾ってきたぎんばさ(=ホンダワラ)の丸い実の部分 おむすび用の黒海苔は、以前にも書いた通り、私がまだ飼育方法がよく分からずにいたときに非常食の意味合いで与えたものであり、すべてのタマキビが食べるとはちょっと保証できない。マツだけが、生きるために妥協して食べてくれたというだけだ。それにしてもヤツはかなりのチャレンジャーである。思わず敬意を表してしまう。 干しわかめと干しひじきは、タマキビたちはほぼ全員が喜んで口にする。特に干しひじきはとても喜ぶ。マツはちょっと太めのひじきを好む。しかし、私が使っているのは「姫ひじき」という細い製品なので、できるだけ太いものを選んで与えている。上手にお腹で抱きかかえて食べている姿は、人間の姿にそっくりで微笑ましい。戻しが足りなくて硬いと、マツの機嫌が悪くなる。以前、マツがお腹が空いている様子だったので、まだ戻し途中の干しひじきを目の前においたところ、見た目で喜んでかぶりついたが、すぐに「か

日当たりがよい部屋の水温管理。窓枠エアコン設置完了。

人に手伝ってもらって、1時間かかったが何とか今のアパートにも無事窓枠エアコンを設置できた。このアパートは家賃が安いくせに、日当たりがよくて、都内にしてはかなり広いのがいいところ。もちろん「いわくつき」なんかでは一切ない。 だが、日当たりがよいというのは、水生生物を飼う上ではあまり好ましくない点でもある。日光の力は強力で、春先でもあっという間に水温を10度ぐらい上げてしまう。このアパートは東窓の6畳間が2つで、その先に南側のベランダ付きの窓がある。だから採光がよすぎて、あっという間に暑くなる。寒暖の差も激しい。 窓枠エアコンをどこに付けるか、かなり悩んだ。北側に近い中部屋にいずれはマツたちを置くつもりでいるが、エアコンをその部屋に付けるのはちょっと難しい。かといって、私が寝起きする南側のベランダ付きの部屋にエアコンを設置すると、能力的に隣の中部屋まで冷気が行くかどうかが微妙。 ↓おそらく私の窓枠エアコンの後継機種。 いずれはペルチェ式のアクアリウム用クーラーを導入するから、室温はある程度下がっていないと効果が得られない。まだ真夏ではないからということで、取りあえずは引っ越してきたときに予定していた通り、南側の私の寝室に設置した。窓の左右のどちらにでも設置できるが、それは中部屋に近い左側のほうに取り付けることですんなり決定。 今日も暑いので早速使ってみているが、効果の程はどの程度だろうか。今はまだマツたちの水槽は南側の部屋に置いてある。エアコン稼働前の水温は25度に達していた。あまり下がらないようなら、たらいを使った気化熱現象も併用してみようと思う。

スガイがようやく新しいエサを食べてくれた!

スガイはこれまで、与えたエサとしてはダイソーの青海苔しか食べてくれなかった。後は岩の藻をかじっているのだと思うが、足りていないのではないかといつも不安だった。 この度、ようやく少し新しいエサを食べてくれたので、記録として残しておく。それは、能登で買ってきた生わかめである。今まで、干しわかめを戻して何度か与えてみたが、ほとんど手を付けてもらえなかった。ワカメが嫌いなのかと思っていたが、そういうわけでもないらしく、今回初めてワカメを目の前で食べてくれた。 先日能登で仕入れてきた生わかめは、七尾港、宇出津港、輪島港のものがあり、どれが食いつきがよいかも気になるところなので、産地別に分けて冷凍してあった。ところが、スガイたちの具合が悪くなったので慌てて適当に袋から出して与えてしまったため、今回は産地については不明という大失態。それは仕方がないとあきらめるとして、先ほどまで具合のよくなかったスガイたちがかなり復活した一因は、間違いなくこのワカメのおかげだと言えるだろう。 ところで、私が産地別に分けて冷凍しているのを、こだわり過ぎだと感じた方はいないだろうか? ワカメなんてどこでも同じだと思うかもしれない。だが、少なくとも能登の場合はそうとは言い切れないのである。 能登半島は西は福井の海とつながり、東は富山湾とつながっている。また、先端部は海流がぶつかるところで波が荒く、先端から珠洲市の狼煙あたりで富山湾側に入ると、突然かなり静かな海になる。ざっくりとだが、能登半島を囲む海は、同じ日本海という名前であっても、大きく4つに分かれると思ったほうがよい。そして、獲れる魚の種類も違うし、同じ種類だとしても味や歯ごたえが違ったりする。これは能登の大きな魅力の一つである。 だから、七尾港のワカメは、かなり静かな湖のような海で穫れたと分かるし、宇出津港については実はあまりよく知らないが、七尾港とつながってはいても、もう少し波は荒いはずと想像できるし、輪島港に至っては完全な「外浦」であり、つまり、波がとても荒い場所であるということが分かる。車で移動するとすると、七尾→宇出津、七尾→輪島とも1時間15分程度、宇出津→輪島なら1時間程度かかる感じと言えば、その距離感が伝わるだろうか? とにかく能登は広いのである。

生の海藻の保存方法

先日、能登に出かけたときに、普段は干した海藻ばかり食べさせられているマツたちのために「お留守番のお土産」として、奥能登の海岸で生の海藻を拾ったり、季節柄スーパーに出回っている生の海藻を買ったりして、たくさん持ち帰った。拾ってきたものの中には名前の分からない海藻もたくさんあり、海藻図鑑で調べなければいけない。しかし、それを待っていると海藻がどんどん傷んでしまうから、拾ってきた海藻については番号札と一緒に写真に撮って、とにかく冷凍することにした。 保管方法をどうするか悩み、一時は本気で「海藻の育成」まで考えたのだが、それは相当難しいということが分かったのであきらめた。海藻の種類の豊富な能登には海藻の研究がご専門の、文字通り「海藻博士」がいらっしゃる。保管についてご相談したところ、やはり薄くのばしてラップして、ジップロックの袋に入れて冷凍するのがオススメとのことだった。そうすると、凍ったままでも必要なところをパキッと切り取ることができるからだ。 一般に、ワカメなどは「冷凍できない」と言われているが、これは人間が食材として使う場合には食感や風味を損なうから駄目というだけであって、ワカメを冷凍したからといって傷んだり変質したりするわけではない。だから、エサとして使う分には、ワカメに関しても冷凍が最強の方法である。むしろ貝たちは普段、干したワカメやひじきなどを食べさせるときも柔らかくないと嫌がるから、食感が損なわれるくらいのほうがちょうどいいかもしれないのだ。

イシダタミのエサは試行錯誤

イシダタミのエサは頭痛の種と以前にも書いたが、今のところ分かっている「よさそうなエサの与え方」を記録しておく。 1.入れた海藻はドロドロになっても、そのままにしておく。 2.人間の目で見て「汚い」と感じるような水槽に入れてやると喜ぶ。 1についてだが、腐ってるかも?と思うようなものでも入れておくほうがいいようだ。それを直接彼らが食べるというよりも、それを介して彼らが食べるようなものが間接的に出来上がっているような感じである。 イシダタミの場合、「清い水に魚は棲まない」を地で行く。ちゃんと水替えをしているのにもかかわらず元気がなくなったときは、たいてい水か水槽がきれい過ぎる。そういうときは、他の貝たちの食べ残しの海藻などを他の水槽からもらってきて入れて数日放置。いつの間にか彼らは元気に動き出し、人間の目には見えないけれど、ガラスについている「何か」を競って食べるようになる。 これについては、2とリンクするところがあり、どうにも餓死してしまいそうなくらい彼らが痩せてしまって、海藻を入れて待つことも許されないようなときは、思い切って他の貝の水槽と入れ替えてしまうのがよい。最初は居心地が悪いのかなかなか動いてくれないが、一晩置いておくと、しっかりとガラスについた汚れ(コケ)をきれいにし始める。そんなときの彼らの生き生きとした表情は、見ているこちらまで幸せな気分にしてくれる。

「妄想」か「真実」か?――このブログはまったくもって「科学的」ではない。

ブログを作る前、最初の記事に絶対書こうと思っていたのにすっかり忘れていた大事なことがあったので、今日記す。 既にお気づきの方も多いと思うが、このブログはまったくもって「科学的」ではない。たしかに、水槽の管理にはある程度科学的な知識が欠かせないし、そういった最低限のことは私ももちろん勉強しながらやっている。その結果分かったことは、同じようなことをしたい人たちの参考になるかもしれないから、できる限りここに書こうとは思っている。 だが、以前の記事でも述べた通り、このブログの趣旨の第一番の目的は 私の思索 であり、第二番は 奥能登の魅力を伝えること であり、 水生生物の飼育そのもの は第三番かそれ以下に過ぎない。マツがたまたま海に棲む巻貝だったというだけで、マツが鳥だったとしても犬だったとしても、はたまた人間だったとしても、おそらくこのブログは成り立つし、私はそのマツの姿を書こうと思ったに違いない。 完全なる理系の人たちからすれば、私のマツたちに対する接し方は、あまりにも擬人化され過ぎているときっと感じることだろう。もしかしたらこの「マッツンの主」なる謎の人物は、かなり危ない妄想に支配された、近づかないほうがよいタイプでは?と警戒すらするかもしれない。そう、たしかにこのブログに書かれていることの大半は、文系人間の「妄想」だと言おうと思えば言える。それは私も認める。 しかしながら、やはりそれもまた「真実」であると、私はマツたちと出会ってから半年の間に次第にはっきりと感じるようになってきた。毎日じっくりとマツたちを観察していると、どんなに小さい彼らにも「心」があり「意志」があると感じられる瞬間がある。この頃は、マツたちの表情も次第に分かるようになってきた。そうやって私が感じ取った彼らの「心」や「意志」が本当にその通りなのかどうかは、残念ながら彼らに人間の言葉で確かめることはできない。だから、私が彼らを誤解している部分も大いにあるだろう。しかしそれでもやはり、人間の言葉で確かめられることだけが「真実」ではない、と私は考えている。 私の「妄想」を信じるか、信じないか、それは読者の皆さんにもちろんお任せする。だが、私は自分がマツたちとの関係の中で感じ取ったもの、そこに見たものを書き、伝える「責任」があると心のどこかで思っている。それが、マツたちに私の人生に付き合っ

スガイ水槽が再び不安定になる。

ゴエモンの生死が不明だったときに水槽に入れっぱなしにしておいたら、暑さもあってあっという間に水が白く濁ってしまった。それがきっかけだったのか、残されたスガイ4匹が体調を崩している。下手をすればスガイ水槽が全滅となりかねないので、とても心配だ。 水替えをできるだけ頻繁に行うようにしたが、彼らの食料となる藻を失うのも怖い。生死不明の貝が出たら、すぐに別の容器に移して休ませるなどの措置を取るべきだったかもしれない。 「リーダー」が具合の悪くなる前夜に私の目を見て何かを訴えていた。スガイは元来、あまり自己主張の強くない貝である。だからこういうことはとても珍しいので、気になった。ゴエモンのことをよく面倒見ていたから、ゴエモンの死がショックなのかと思ってしばらく話しかけたりしていたのだが、実は水質の悪化も訴えていたのだろうか? 数値に出ない水槽の異常を素早く察知するには、貝たちとのコミュニケーションが欠かせない。しかしそれは人間の言葉を介してではないから、私が彼らの発するサインをちょっとでも見逃したり、彼らの表情を読み違えると大変なことになる。

夏の水温管理の予行演習

ここ数日、東京は初夏を思わせるような暑さである。湿度も高い。夏対策はまだまだ先と思っていたが、早急に考えなければいけなくなった。室温は先ほど確認したところだと28度くらい。水温は22度。 他の貝たちは水にもぐってくれるが、マツたちタマキビやアラレタマキビは貝のくせに水が大嫌い。早速、真夏の海岸よろしく貝殻ををカラカラに乾かせたまま岩に張り付いて、フタを閉じて身動きだにしない。夜になって涼しくなるとエサを食べに動き出すという始末。 いずれペルチェ式のクーラーを購入する予定ではあるものの、取りあえずマツたちに少しでも快適に過ごしてもらえるよう、気化熱を利用して温度を下げる予行演習を行った。ダイソーで買ってきたたらい(150円)に水を張り、そこにマツたちのボトルを3つ入れる。扇風機をたらいの水に当てて、気化熱現象を起こして間接的にボトルの水温を下げる。 まだそれほど暑いわけではないからと、最初はたらいの底のほう5センチ程度しか水を入れなかったのだが、マツたちタマキビの様子を見ているとこれでは意味がないようだ。というのは、水を嫌う彼らにとっては、水温はあまり関係がないからだ。私と同様、この蒸し暑さに少々参っている様子。水温自体は20度ジャストくらいで安定しており、ちょうどいいはずなのだが。 それではと、できるだけたらいの水を深くして、ボトルの中の水のない部分までが冷えるようにしてみた。現在、様子を見ている最中である。それにしても今からこの調子では、夏はたらいではなくてもう少し深い容器が必要になるだろう。場合によってはもっと大きなボトルを用意することも考えなければならないと思う。 明日は人に手伝ってもらって、部屋にエアコンを設置する。窓枠エアコンだから素人でも取り付けられる。引っ越してきたのが冬だったのでまだ取り付けていなかったのだが、こんなに早い時期に必要になるとは思わなかった。私は今までニューヨーク、能登と冬の寒さが厳しいところばかりにいた。10年ぶりの東京の夏は、私にとってもかなり厳しいものになりそうだ。 マツたちと一緒に夏がうまく越せるように・・・祈るような気持ちで最善を尽くしている。

「シタダミ/シタダメ」という呼び方

奥能登地域では磯の巻貝たちのことを総称して「シタダミ」とか「シタダメ」と呼ぶ。「シッタカ(=尻高)」と呼ぶ人もいる。「シタダミ」と「シタダメ」の地域の境界線は今ひとつ分からないが、私の感覚では輪島市では「シタダメ」、珠洲市では「シタダミ」と聞くことが多いように思う。だが、これはあくまで「ネイティブスピーカー」ではない私の個人的な感覚に過ぎず、実際には逆かもしれないしもっとデタラメかもしれないので、あまり当てにしないでいただきたい。 ところで、「シタダミ」という言い方は、奥能登だけに限らない。実は万葉集にも「しただみ」という言葉が出てくるほどで、かなり全国的に使われている表現である。万葉集の時代から、磯の巻貝たちが人間の生活にどれほど身近な存在であったかということを思いながらマツたちを見つめていると、何とも不思議な畏敬の念にとらわれる。おそらく正確には「シタダミ」という言葉は、イシダタミの略称からきているのだろう。しかし「シタダミ」と一般に言われた場合には、イシダタミだけでなく、それ以外のスガイ、タマキビ、クボガイなど、磯から拾ってきてゆでて食べるような巻貝を総称していると考えて間違いない。

にほんブログ村に登録

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その昔、まったく違う内容のブログをやっていたときに、にほんブログ村に登録したことで横のつながりができたり、より多くの方々に読んでいただけたりと、とても楽しかった記憶があった。初期登録が簡単で、長期的にも使いやすいのもよかった。それで、このブログも本日登録させていただいた。以前よりもレスポンスが早くなっていて、記事を更新するとどんどんブログ村側のデータも更新されていき、登録当日なのに既にランキングにも入っている。 さて、このブログ村だが、登録するときに自分のブログの内容がどんなジャンルに属するのかを3つまで選択することができる。しかも、ランキングボタンを読者の方が押して下さったとき、その数をそれぞれのジャンルのランキングにどういう比率で割り振るかも自分で決めなければならない。つまり、このジャンル選択と比率の割り振りによって、自分がブログでいったい何を目指しているのか、どんな優先順位をイメージしているのか、しっかりと考えることを迫られるのだ。 私はここではたと悩んだ。「アクアリウム」というジャンルをどうしても選びたくないと思ってしまったからだ。しかし「アクアリウム」を選ばないのなら、貝たちのことを書いているということを誰にも伝えられない。なぜなら、当てはまるジャンルが他にはないからである。強いて言えば「その他のペット」というジャンルがあったのでそれでもよかったのだが、別に「珍獣」の類を飼っているわけでもなく、それもちょっと・・・という抵抗を感じた。 仕方なく「アクアリウム」は選ぶことに決めたが、今度はその先にさらに細分化されたジャンルがあることに気づいた。「海水アクアリウム」や「ボトルアクアリウム」などの選択肢があり、ここでまた迷うことになったのである。両方を選ぶことももちろんできる。だが、そうしたらそれだけで3つのうち2つの枠が埋まってしまう。ただでさえ「アクアリウム」を選ぶことに抵抗があったのに、余計矛盾した状況になってしまう。結局「海水」というのは大げさだろうと判断して、「ボトルアクアリウム」で1つめは決定。 そして残りの2つを選んだのだが、実はこれこそが私がこのブログを通じてやりたいことなのだ、とあらためて実感した。幸いなことに「地域」のジャンルの中に「能登」というくくりがあった。さすがブログ村である。本当はもう一歩進んで「奥能登」というジャンル

かつて鍋に放り込まれたゴエモンと、ついに「さよなら」・・・

4月12日の記事 で、「アラレタマキビ4匹のうち2匹、イシダタミ5匹のうち1匹、スガイ5匹のうち1匹の具合が悪くなり、どうやら死んでしまったようだ」と書いたが、その後の経過である。 このときのスガイ1匹は、 「登場する貝たちの紹介」ページ にある「ゴエモン」のことだった。ゴエモンはまだ飼い始める前、私が食べるかどうかでさんざん迷った挙げ句、一度鍋に放り込んでしまったという悲惨な過去を持つ。そのせいなのか体が弱く、1月の寒さの厳しい頃から、しばしば食欲不振に陥っていた。その度に仲間の「リーダー(長老)」がそばで励ましたりして、何とか一口、二口とエサを食べては、また復活していた。 4月12日に記事を書いた後、実はゴエモンはまだ生きていることが確認できていた。手の中でそっと握りしめ、背中(貝殻)をさすりながら呼びかけると、顔をそっと出して応じたのだ。だから、「頑張ろうね。一口でも二口でも食べようね」と励まし、エサをそばにして、できるだけ落ち着いて休める岩場に置いて様子を見ていた。今回も何とか復活してくれると信じていたのだが、残念ながら力尽きてしまったことが昨日確認された。それは、死んだ貝に特有の臭いを立て始めたからだ。 思い返せば、今まで何回この臭いを嗅いできただろう。この臭いを嗅ぐ度に絶望的な気分になる。もう自分は何もこの貝に対してしてやれない、ということをはっきりと突き付けられるからだ。ゴエモンに対しては、私が苦しい思いをさせてしまったという負い目もあり、日ごろから体調などを特に気にかけていたから、もう二度とこの水槽で元気な姿を見せてはくれないのだと分かったときには、本当に悲しかった。 鍋に放り込んでしまったときの、ゴエモンの必死の「助けて、助けて!!!!!」という表情が、今でも私の脳裏に焼き付いている。あの必死の訴えがなかったら、私はそのままゴエモンを食料として食べてしまっていたはずだ。ゴエモンは生きようとした。そして、実際に生きた。辛い目に合わせた私のことも、許してくれた(はず)・・・である。私の釜ゆでのせいで寿命が短くなったかどうか、今となっては知る由もないが、それでもゴエモンは最後まで一生懸命生きた。このゴエモンの生きざまを、私は一生、忘れることはないと思う。

「ボトルアクアリウム」とは何か? それは本当に私のやっていることなのか???

実は、マツたちと今の形で一緒に暮らすようになった当初、私は自分のやっていることが「ボトルアクアリウム」だという意識は全くなかった。だいたい、そんな言葉すら知らなかった。 とにかくマツたちと一緒に暮らしてみたい、その一心で考えだしたスタイルが、100均のボトルの中に奥能登の海岸の岩を組むという形だったというだけだ。最初は食品保存用の大きめのタッパーでやっていたが、小さすぎて管理が大変だったので、ごく自然な流れで100均のボトルに移行した。 磯の巻貝の飼い方なんて、ネットのどこを検索してもほとんど情報がなかったが、それでも必死で使えそうな情報をかき集めた。そうやって今のスタイルを作ってゆく過程で得た情報のどこかに、おそらく「ボトルアクアリウム」という言葉があったのだと思う。そしてそれが今、けっこうブームになっているということも分かってきた。 私は自分がやりたいと思ってのめり込んだだけのことが、実は世間的にはすごいブームだったとか、私が飽きた頃に突然爆発的ブームになるとかいうことがよくある。世間的な流行といったものに極端に疎い私は、テレビや雑誌、ネットなどで見かけたからと真似をしてやってみるということはまずないし、あまりそういうことに関心もない。 取りあえず分かりやすいように「ボトルアクアリウム」と人には説明しているけれど、私自身がこの言葉を納得して使っているかといったら、それは全くもって「ノー」である。自分が一生懸命になっている、自分だけのオリジナルな事柄に勝手に名前を付けられてしまったみたいで、正直に言うとかなり違和感がある。

飼育水は天然海水と人工海水のミックス。

飼育水には、もちろん海水を使用している。マツたちにそっくりの巻貝なのに淡水で生活している種類もいるのだから、この地球は不思議だ。 現在、海水は天然海水と人工海水を混ぜて使っている。これはまだ試行錯誤の段階で、どちらのほうが貝たちにとっていいのかははっきりと分かっていない。混ぜて使っている理由は2つある。1つは能登を離れて暮らしている以上、天然海水が常時調達できるとは限らず、使える量にも限りがあるためで、もう1つは天然海水がいざ調達できなくなったときに、突然人工海水に切り替えてマツたちの体調が狂うことを防ぐためである。つまり、普段から人工海水にもそれなりに慣れておいてもらおう、というわけだ。 天然海水は、マツたちのいた奥能登の海から直接調達している。車に大量のペットボトルを積んでいき、揚げ浜塩田の親方にもご協力いただきながら、おいしい揚げ浜塩のもとになっている海水をいただいてくるのである。 マツたちと暮らし始めたのは昨年10月末からだ。当時、私は岐阜県に仮住まいをしていたので、用事でしばしば奥能登まで出かける機会があった。だから、その度に海水を汲んでくることができた。岐阜県から奥能登までは下道で行っても片道4時間半ほどで、道もほとんど一本道のように分かりやすいから、慣れてしまうとそれほど大変ではなかった。だが、昨年暮れに東京に戻ってきてからは、今後の天然海水の調達については以前のようにはいかないと覚悟している。3月末に久しぶりに能登に出かけたが、この次に行けるのは秋だし、どんなにたくさん海水を汲んできてもきりがないので、ペットボトルに2箱だけいただいてきた。 まだ昨年に汲んだものが残っており、現在はそれを使っている。3~4ヶ月たった今でも全く問題なく使えているが、いくらきれいな奥能登の海水であっても、暑い夏に置いたままにして大丈夫かは未知数だ。したがって、最終的には完全に人工海水に切り替えざるを得ないだろう。 太平洋の海水を汲んできて試してみる価値はあると思うが、私は奥能登の魅力は太平洋と全く違ったあの海にあると感じるし、太平洋側にもマツたちと種類的には同じ貝たちがたくさん生息はしているが、その性格や生態もだいぶ違う気がしている。だから、太平洋の海水はおそらく相当違った性質を持っているだろう。マツたちの不慣れな太平洋の海水を使うよりは、ある程度平均

「飼えなくなった生体の引き取りサービス」への違和感

アクアリウムショップが「飼えなくなった生体の引き取りサービス」なるものをやっていると知って、驚愕している。アクアリウムをやっている人たちの間での情報交換でも、「それなら生体が多すぎるから、ショップに引き取ってもらえば?(=売れば?)」といった言葉が平然と出る。 その感覚が分からない。たとえ海水魚でも、日本国内で普通にアクセスできるような自然の海からの生体ではないから、こういうところに引き取ってもらわないとならなくなるのだろう。私は死んだ貝たちですら出身地の奥能登の海に必ず返しに(=帰しに)行くので、理解に苦しむ。 こういうアクアリウムショップの世話にならないといけないのが、マツたちと暮らしていく上での辛いことの一つ。そして、こういうところを通じて「アクアリウム」をやっている人たちとは、とても一緒には語らえないと感じている。 私がやっていることは、間違いなく「アクアリウム」ではないと断言できる。

これは「アクアリウム」? いや、私がやっていることには、たぶん名前がない。

私がやっていることには、たぶん名前がない。 私がマツたちを通じてやっていることは、表面だけ見る人からしたらアクアリウムとか何かそんな名前になると思われる。だが、「アクアリスト」と呼ばれる、アクアリウムを趣味とする人たちと話したり、アクアリウム専門店に行ってみたりして、それはやっぱり違うとあらためて実感した。 水槽やらビニール袋の中に入れられて、1匹いくらと値段をつけられて売られているさまざまな生体たち。仮にそこにマツたちのような貝が売られていたとしても、私は興味を持たないと断言できる。それを飼いたいとも思わないし、それに特段の価値も感じない。 たしかに私がマツたちと暮らすために必要とする知識や道具はアクアリウムから借りているが、私のやっていることはアクアリウムではない。では何か?と問われると、一言では言えない。だからブログをやっている。

能登の岩に隠れたまま、東京まで連れてこられた「名もないエビ」の話。

先日、能登に1週間ほど用事があって出かけた時、奥能登の海岸でマツたちのために藻のついた岩(ライブロック)やら海藻やらを採取してきた。岩はたらいのような容器に入れて、海水を少しかけて、そのまま車で持って帰ってきたのだが、意図せず生きものが何匹か入ってきてしまったようだ。 その中の1匹が、種類もよく分からない小さなエビだった。手の上に乗せてやると、少し弱ってはいたものの元気に飛び跳ねていたので、マツたちと一緒にしても問題ないことだけ確認して、ボトルの中に入れてやった。 ところが、それからほどなくして水替えをしようとしたところ、このエビの姿がどうしても見当たらない。死んでしまったとしても死骸は残っていなければおかしいのに、いくら探しても見当たらない。底砂に潜ったのかと注意深く見てみたが、やはりいなかった。 死骸があっという間に溶けてしまったのだろうか?と、ずっと疑問に思っていたのだが、昨晩、普段、昼間にボトルを置く畳の上で干からびているところを発見した。いつもマツたちとばかり付き合っているので、「ボトルから跳ねて飛び出す」ということがあるのに思い至らなかった。たぶん、フタを開けて放置している間に、勢い余って外に跳び出し、そのまま干からびて死んでしまったのだろう。 アクシデントとは言え、せっかく奥能登から東京まで一緒に来てくれた小さな生命。きちんと世話をしてやれなかったことを、とても申し訳なく感じている。

「カルキ抜き」は瞬時で簡単、かつ100円。

もしかしたら、昔からあったのに私が知らなかっただけかもしれないが、最近は「カルキ抜き」が瞬時に簡単にできる製品が、とても安価に手に入る。あのダイソーでも手に入る。かなりの量が入って100円だ。粉末タイプもあるようだが、これは液体タイプである。 ↓こんな感じ。 子どもの頃、金魚を飼ったり、ミドリガメを飼ったりしたことがあるが、その当時はこんな便利な製品のことは知らなかったので、水道水を日光に数日さらしたものを使わざるを得ず、飼育水の用意には毎回かなり骨が折れたのを覚えている。あのときの苦労を考えると、「カルキ抜き」製品のおかげで、今の子どもたちは自由研究などではるかに楽に水生生物を飼育できるだろうし、とてもよいことではないだろうか? 巻貝たちの飼育にも、当然カルキ抜きは必要だ。私は普段、カルキ抜き成分の入っている人工海水の素(粉末)を使用するので、めったにカルキ抜きそのものを使うことはない。しかし一応、いざというときのためにダイソーの製品を1本持ってはいる。水を必ず必要とする生きものを飼う以上、備えておいて損はないだろう。 ↓私の使っているカルキ抜き入りの人工海水「ジェックス・シーウォーター25」はコチラ。

「飼育疲れ」

ここのところ私自身がかなり多忙で、いろいろとプレッシャーの多い時期にある。睡眠時間も十分に取れていないし、体の調子もかなりよくない。何とか仕事だけはしている、という状態なのだ。 そこへ来て、ここのところ水槽が安定していなくて大変な状態が続いているため、マツたちがかわいいという気持ちよりも、負担に思う気持ちのほうが次第に大きくなってしまっている。 こんなことではいけない、マツたちに申し訳ない、と思う一方で、所詮私も人間であるから、限界もある・・・ 人間同士でも育児疲れや介護疲れでトラブルが起きるが、それはペットと飼い主の間でも起きる。「飼育疲れ」とでも言うべきだろうか? マツたちのことはもちろんかわいい。欠かせない家族の一員にもなっている。だが、自分一人の生活だけでも手一杯の状況が突然このように訪れると、本当にどうしていいか分からなくなる。 今朝もボトルを覗いてマツに「おはよう」と呼びかけると、マツは元気いっぱいにツノを振って挨拶を返してくれた。そんなマツの素直で純粋な姿を見ていると、なおさら胸が痛む。自分はとてつもなくマツたちに対して、悪いことをしているんじゃないだろうか・・・?

ダイソーのアナログ水温計は、結構使える。

水温計は、ダイソーのものを使っている。もちろん100円である。 ダイソーは店の規模にもよるのだが、アクアリウム用品をかなり置いている。直接アクアリウムをうたっていなくても、ボトルアクアリウムに適した容器なども置いている。その中でも、最も一般の製品と遜色なく使えるのがこの吸盤式の水温計である。 最初は1センチぐらいの太さのあるものを使っていた。当時はそれしか近くの店舗になかったからだ。しかし、東京に戻ってきてからダイソーを覗いてみると、その1センチくらいの太さのもののすぐ横に、ストローくらいの細くて短めの水温計が並んでいるのを発見した。 このコンパクトさは、明らかにボトルアクアリウムの人たちを狙った商品に違いなかった。太い水温計の時は、文字が読みづらいことが多かったが、この細いのを手にしてからは、そんな悩みもなくなった。 現在は3つのボトルにそれぞれこの細い水温計を入れている。太いものに比べて反応も速く、使いやすい。狭いボトルの中でも邪魔にならないのもよい。強いて欠点を言えば、100均の製品に共通することだが、吸盤の作りが弱いため、うまくガラスにくっつけないと、いつの間にか外れてしまっていることがあるくらいだろうか。 ↓私が新たに入手したダイソーの細いタイプの水温計は、これによく似ている。表示がきれいなブルーであることも。

水槽が不安定。生命は待ってくれない。

やはりまだ水槽が不安定な状態が続いている。 先ほど仕事から帰ってきてマツのボトルを覗いてみると、マツはいつものようにツノを振って出迎えてくれたのだが、一緒に入れていたイシダタミが底砂の上に落ちていた。このイシダタミはエサが足りずに具合が悪そうだったので、ガラスを汚すマツの水槽にわざと入れてやっていたのだが、あまり食糧を確保できていないようだ。まだ生きてはいるが、だいぶ弱っている様子。イシダタミはなかなか与えたエサを食べてくれないので、困り果てている。 他にもアラレタマキビが少し具合が悪そうだった。水が白っぽく濁っているところを見ると、アンモニアが濾過しきれていないと思われるので、今日はこれから水を取り替える。また、先日書いた、死んでいるかどうか微妙な貝については何匹か様子を見ている最中だから、彼らはもう別の容器に移したほうがいいかもしれない。 どんなに仕事で疲れていようと、生命は待ってくれない。これから気合いを入れて水槽の整備をする。

タマキビ・アラレタマキビ・スガイ・イシダタミのエサ(番外編もアリ)

いずれの貝も岩の藻をかじるし、本当はそれを一番好んでいると思う。だが、人工の環境下では岩の藻を常に十分に供給することは至難の業である。普段どんなエサをやっているのかを以下に記す。 <タマキビ・アラレタマキビ> タマキビたちは比較的何でも食べてくれるし、食べつけないものでも積極的にチャレンジする。かなりの「食いしん坊」である。 1.干しわかめ 海水でやわらかくして与えている。最初は輪島の朝市で購入した地物の干しわかめを与えていたが、どうもマツはどこでも買える中国産干しわかめのほうが好物らしい。輪島の朝市のおばちゃんに申し訳ない、フクザツな気分である・・・ 2.干しひじき マツの大好物。アラレタマキビも喜んで食べる。海水でやわらかくして与えると、周りの黒い部分のみをかじり取って中身は残すことが多い。 <スガイ> 今のところスガイは青海苔と岩の藻だけである。心配だが、取りあえず元気でいてくれるのでこれで様子を見ている。 1.青海苔 100均で買ったものだが、とても香りがよい。書籍ではスガイは手の加わった海藻は食べないとのことだったが、この青海苔は香りにつられるのか口にしてくれる。 <イシダタミ> イシダタミのエサが難しいことは以前の投稿で書いた通りで、いまだに答えが見つからない。彼らはけっこう「グルメ」な気がする。 1.干しわかめ 海水でやわらかくして、ガラス面に貼っておく。一口くらいは手をつけるが、やはり岩の藻がいいようで・・・ 2.青海苔 スガイだけでなく、イシダタミもたまに口にしている様子だが、彼らの場合はある程度水に溶けてぐちゃぐちゃになっていないとダメ。一口でたいてい「もういらな~い」という感じになる。 <番外編> 1.黒い焼き海苔 最初、右も左も分からずに飼い始めた時は、おむすび用の普通の黒海苔を入れてやっていた。もちろんこれは食べない個体が多くて、長続きはしなかった。マツだけはこれを食べて生き残った。ヤツはかなりの「大物」だと思う。

海水アクアリウムでは、pH値の管理が重要。そこで・・・「アースチェック液」!?

海水のアクアリウムをやる場合、pH値の管理はかなり大事である。 海は常に弱アルカリ性に保たれており、当然、海洋生物もその状態でないと生きられない。しかし、エサの食べ残しや糞、プランクトンなどの死骸・・・などが積み重なると、どんどん酸性に傾いていってしまう。バクテリアがうまく働き、水槽内の安定が保たれるようになれば、この酸性への傾きは次第にゆっくりとしたものになるが、立ち上げたばかりの水槽の場合は、ほとんど毎日のように水替えが必要となる。 アクアリウム用のpH値チェックの試験紙というのもあるにはあるのだが、けっこう値段が張る上、実際に使った人たちのレビューを見るとどうも不正確なことも多いようである。何とか安価にできないかとネットで検索しまくって、私が現在使っているのは、住友化学園芸から出ている「一目でわかる酸度pH測定液――アースチェック液」という製品。どこのホームセンターでもたいてい置いているから入手がしやすい上、値段も700円前後。試薬が5ml入っているが、以下に記すようなやり方をすれば1回に1滴しか必要なく、ほとんどなくならない。 アースチェック液は、本来は園芸の土壌検査用である。しかし、パッケージにもその他の用途にも応用できることが明記されている。実際、アクアリウムに使っている人もいるとネットで知った。調べたい土壌に水を入れて上澄み液を2.5CC取って、そこに試薬を3滴垂らすのが正しい使い方。プラスチックの小さな試験管が付属している。試薬を垂らすと色が変わるので、それを付属の色見本と比べて、0.5刻みでだいたいのpH値が分かるという仕組みだ。 そこで私は、海水を毎回約0.8CCとり、試薬を1滴だけ垂らしてチェックしている。つまり3分の1の量でチェックをしているというわけ。試験管に海水を入れるためのスポイトは付属していなかったので、小学生の習字用のスポイト(2個で100円程度)を購入した。半年近くになるが、だいたいこの方法で正しい数値は得られていると感じている。

念願の光学式塩分比重計を購入。塩分濃度の調整を行う。

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先日、念願の光学式の塩分比重計を購入した。 ボトルアクアリウムの場合もともとの水量が少ないので、ボトルにシールなどを貼って水量のラインを示しておいても水が減ったことがはっきりとは分からない。今のボトルを使い始めてからもう5ヶ月になるので、塩分濃度は相当高くなっていることが予想され、いつも不安で仕方がなかった。 奥能登の揚げ浜塩田で鹹水(かんすい:塩田に海水をまき日光で乾かし、その砂にさらに海水をかけて濾し取った濃い塩水)の濃度を測るために親方が使っているボーメ比重計は安価だが、かなりの水量がないと計測できない。バケツの中に入れて測るような感じになる。また、アクアリウム用に売られている、海水を少し入れて針の動きで比重を測るタイプも、水量の少ないボトルアクアリウムの場合には少々きつい。 そこで、かなり高価にはなるが、数滴あれば比較的正確に塩分濃度を測ることのできると言われる、光学式の塩分比重計を購入することにした。日本のメーカーのものを買うと、安いものでも5~6000円はする。中国製なら2000円台からある。安かろう悪かろうも困るので随分選定に時間をかけたが、結局、機能的には問題は出なかろうという希望的観測のもと、中国製の2000円のものをネットショッピングで購入してみた。マツたちは潮溜まりの生きものなので、塩分濃度の多少の誤差で生命にすぐ別状があるということは考えにくかったからだ。 分かりづらいと思うので、一応写真を貼っておく。(このブログでは、できる限り文章のみで情報を伝えることを目的としているので、基本的にはあまり写真は使わない方針) 何やら大げさに見える道具だが原理的には単純なもので、物質Aから物質Bに光が通り抜ける時に屈折率の違いが発生するので、これを利用して計測するだけだ。 この先っちょの部分が、顕微鏡のスライドとカバーグラスの役割みたいなものだと思えばよい。ここに数滴、飼育水を垂らして、プラスチックのカバーグラスをかけて空気が入らないようにして、プレパラートを作る感じにする。そして、反対側の望遠鏡のようになっている部分を覗きながら、明るいほうを向くと、ブルーと白に光が分かれて見え、その境目が内部にある濃度の目盛りを指しているというわけ。中の目盛りは眼鏡店の視力検査に使うものに似ていて、ピンボケしている場合はレンズをクルクル回

イシダタミの飼育は難しい。

現在、イシダタミ、スガイ、タマキビ、アラレタマキビの飼育を行っているが、最も難しいのがイシダタミの扱いである。磯の巻貝の代表的存在であるにもかかわらず、彼らはけっこうシビアな飼育環境を要求するのだ。 イシダタミたちは基本的には「デトリタス」といって、生きものの死骸やら海藻の腐ったのやら、そういった海の「ゴミ」のようなものが濾過されて「ドロ」のようになって岩についているものを食べたり、岩についた目に見えないような小さな藻類を食べたりする。 この「デトリタス」は、人工的な環境の中ではなかなか意図的に作り出すのが難しい。しかも彼らはかなりの大食らいであるから、水槽の中でオマケ程度にちょこっとできたデトリタスぐらいでは、すぐに食べ尽くしてしまうのである。 微小藻類についても同様で、岩についた藻類を人工的に繁茂させることは不可能に近い。大掛かりな装置を使える研究機関などならともかく個人レベルではまず無理である。 だから、イシダタミのエサについては、いつも頭痛の種だ。ここ1~2ヶ月で大きいものから死んでいってしまったことを考えると餓死の可能性が高く、飼い主として大変責任を感じている。 イシダタミは、人間の目から見るととてもきれい好きである。つまり、水槽の汚れをピカピカにしてくれる。働き者で、眠る時以外は水槽内を素早く動き回って、ガラス面をピカピカに磨き上げてしまうのだ。 一方、マッツンの属するタマキビたちは、人間の目から見たら怠け者である。与えられたエサは何でも食べるが、水槽内の掃除はほとんどしない。だから、彼らの水槽は、次第にガラスが曇って汚くなってきてしまう。 そこで、ある時思い切って、タマキビの水槽とイシダタミの水槽を入れ替えてみた。すると、タマキビたちは「きれいになった!」と大喜びし、イシダタミは「食糧がたくさんある!」と大喜びし、ウインウインの関係が成立。やせ細っていたイシダタミたちも、無事復活したのである。 ホッとしたのも束の間、それから1ヶ月ほどたった先週、イシダタミたちの水槽がまたピカピカになってしまい、再びやせ細りだした。 これはいかんと、タマキビ同様にあまり掃除をしないスガイたちの水槽と入れ替えを行ってみたところ、これがどうもうまくいっていない。水槽の安定を欠いてしまった一因はこの入れ替えかもしれないのだが、イシダタミたち

具合の悪い貝が続出。元気なうちに能登に帰せなかったことを悔やむ。

能登から帰ってきてこの1週間のうちに、アラレタマキビ4匹のうち2匹、イシダタミ5匹のうち1匹、スガイ5匹のうち1匹の具合が悪くなり、どうやら死んでしまったようだ。 どうやら・・・というのは、巻貝の生死の確認はとても難しいからだ。彼らは生きていても、フタを閉じて休んでいる時もけっこうある。飼育初期の頃、死んでしまったと思って、能登の海に帰しに行こうと別の容器に入れておいたら、いつの間にか元気に動き回っていたことがあって、随分慌てた。 はっきりと死んだかどうか分かるのは、次第に独特の臭いを立て始めるときだ。だから、それまでは水槽の中にできるだけ入れておくようにしている。水質の悪化は防がなければならないから、臭いを立て始めたら、すぐ取り出す。 もし死んでしまったのだとすると、これで現在生き残っているのは、タマキビ5匹、アラレタマキビ2匹、イシダタミ4匹、スガイ4匹の15匹となってしまったことになる。いつの間にか、随分と寂しい水槽となってしまった。 どんなに小さな生命でも、一匹一匹の個性と付き合って一緒に暮らしているので、その死には大きなショックを受ける。そしてその度に、私にもっとできることはなかったのだろうかと胸を痛める。 あのときもう少しエサをやっていればよかったのではないかとか、あのとき水替えをしていればよかったのではないかとか、水槽の入れ替えをしたのがいけなかったのではないかとか・・・さまざまな後悔が湧き起こってくる。 私が3月の末から1週間、能登に出かけて留守番させたこともまずかったのではないかと思うと、とても辛い。あの時、一緒に能登に連れて行って、海に帰してきてやればよかったのだろうかと思い悩んでいる。

「水槽の中に生態系を再現する」難しさ

水槽の安定は、ある日突然脅かされる。しかもそれは決して目に見えない。これが水生生物を飼うことの、最大の難しさ・恐ろしさと言えるだろう。 私は、学生時代、生物をまともに勉強しなかった。いや、できなかった。図を見たり、観察してスケッチしたりということに大きなハンディがあって、苦痛以外の何物でもなかったからだ。仕事柄、今でも小・中学校の理科の教科書や参考書を読まなければならないことがあるが、生物の範囲はやはり読むのがとても苦痛である。 そんな状態であるから、私はマツたちを飼い始めたときには、水に棲む生きものを飼うということが、こんなに微妙で不安定なバランスの中に成り立っているなんて、まったく知らなかった。 今でもよく分かっているとは言えないが、一言で言えば、アクアリウムをするということは、「水槽の中に生態系を再現する」という壮大な試みなのだということになる。それはある意味「自然に対する人間の挑戦」という、かなり恐れ多い行為と言っても過言ではない。 特に海洋生物の飼育は難しいのだということも、マツたちを飼い始めてから知った。最初の1ヶ月は、とにかく次々と個体が死んでしまい、悲しくて、虚しくて、常に罪悪感を覚えていた。大好きな能登を、自分の手で次第に破壊してしまうような、そんな胸の痛みさえ覚えて辛かった。 水槽にバクテリアがほどよく繁殖し、PH値が弱アルカリ性に保たれ、アンモニアを分解する過程で発生する毒素が生体に影響しないレベル・・・つまりこれが「水槽の安定」なのだが、そこまで持っていくには、かなりの時間と根気が必要だ。そして当然、その間にある程度の個体を犠牲にする覚悟は必要・・・ということも、飼い始めてから知った。 アンモニアや亜硝酸といった毒素が大量に発生するので、必死で毎日水替えをした時期もあった。しかし、今のボトルを使い始めて1ヶ月ちょっとたった昨年12月の半ばころから、スッと水槽は安定し、それ以来、死なせてしまうことも全くなくなった。厳寒の冬にもかかわらず、車に乗せて長距離の引っ越しに付き合わせたにもかかわらず、マツたちは私にしっかりとついてきてくれた。 ・・・ところが、再び季節の変わり目を迎えたせいなのか、ここ数日、突然その安定が崩れていて気が気ではない。朝起きる度に、ボトルのフタを開けるのが怖い。1匹でも具合が悪そうな個体を見つける

ヒーターは必要? 寒暖の差が厳しく水温管理が大変。

ここ1週間ほどの東京の気候はかなり滅茶苦茶だ。 先週半ばは上着がいらないくらい暑かった。ちょっと油断をすると水温も25度に達するので、随分気を使った。私自身も汗をかいて暑く感じ、扇風機を回したり、窓を開けたりしたほどだった。 ところが、週末に入って天気が悪くなり、再び暖房が必要になっている。今朝は水温が16度ほどである。これは2月、3月初めくらいの水温と同じだ。 もともと奥能登出身の貝たちだから、低水温には慣れているのだが、この寒暖の差が問題のようで、マツをはじめとして、全体に元気がない。弱って食欲の出ない貝も数匹出ていて、心配で仕方がない。 やはり水槽用のヒーターを今からでも買ってやるべきなんだろうか。とても悩んでいる。夏対策で水槽用のクーラーの購入を検討していた矢先にこれだから、どうしたものか。

ブログタイトルの『マッツン』って?

「マッツン」は、私が現在飼育している巻貝たちの中で、最も古株、かつ、最も個性的で、体も比較的大きな巻貝である。種類で言えば、タマキビに属する。おそらく、昨年10月20日から生き残っているのは、ほぼこの「マッツン」一匹のはずである。生命力が強いというか、精神的に図太いというか、マッツンは本当によく食べ、よく眠り、よく糞をする。まさに「快食快便」そのまんまのライフスタイル。 「マッツン」は愛称のようなもので、正式には「マツザキ」である。私がまだ飼育の仕方もよく分からないで困っていた頃、試しにと黒い焼き海苔を食べさせてみたら、ヤツはこれを食べて生き残った。食べない個体は、残念ながら死んでいった。(かわいそうなことをしてしまった・・・) ふと気づくと、黒海苔のせいなのか、ヤツの体がやけに黒光りするようになっていた。これは、肌の黒さをウリにした某タレントさんにそっくりだというわけで、「マツザキ」と名付けた。友人からは「貝にマツザキなんて変」と言われてしまったが、人間のようなふてぶてしさを備えたヤツには、「マツザキ」という名前もしっかりと似合うのである。 呼ぶ側もだんだん面倒になり、「マツ」と略称したりしていたが、そのうち「マッツン」が定着してしまった。そんなわけで、このブログでは、「マツザキ」「マツ」「マッツン」といった名前が度々登場することになるだろう。どうぞよろしく。

水槽の状態が不安定。アラレタマキビが弱り出す。イシダタミの水槽も・・・

ブログを立ち上げたばかりだが、実は文章なぞ書いていられる状態ではない。ここ数日、水槽の状態は決してよいとは言えず、弱っている個体も2匹ほど出ている。 この個体はアラレタマキビという種類で、タマキビと全く同じ形をしているが、そのミニチュアである。決してそれ以上には大きくならない。小さくても生命力はかなり強く、ここまで数ヶ月、特に問題もなく一緒に暮らしてきたのだが、先週、1週間ほど能登に出かける用事があり、留守番させている間に体調を崩してしまったようだ。 帰ってきて真っ先に水槽の状態をチェックしたのだが、アラレタマキビのうちの1匹は、白い体を出した状態で岩の上に寝そべるようにしていた。文字通り「のびている」感じだった。こんな状態を見るのは初めてで、とても不安になった。もう1匹は、ここ数日で弱ってしまい、水槽の底に落ちているところをレスキューした。 現在は取りあえず、転がり落ちる心配のない岩の上に乗せてやり、能登から持ち帰った海藻類をすぐそばに置いて、食べやすいようにしながら様子を見ている。 エサはあらかじめ旅行の前にしっかりと食べさせ、旅行の前日に水替えをしてからは、留守中の水質の悪化を防ぐため、エサを入れないようにしていた。温度の大きな変化がないように、断熱シートで覆った段ボール箱の中にボトルを入れていった。以前も同様にして1週間ほど留守にしたが、問題は起きなかった。だから、はっきりとした原因が分からないでいる。 そうこうしているうちに、今度はイシダタミの入った水槽が非常に不安定になり始めた。目に見えて水質が悪化しているとは思えないのだが、別の水槽に移してやると元気になるところを見ると、やはり何か水槽そのものに問題があるとしか思えない。塩分濃度もPH値も臭い(水質の悪化は臭いに表れることが多い)も悪くないのだが。 そんなわけで、ここのところ毎日のように水替えやら、水底でもがいている個体のレスキューやら、水槽の入れ替え(別の種類の入っている水槽と取り替えて、以前うまくいったことがある)やらに追われて、精神的にもかなりプレッシャーだし、睡眠不足にもなりかけている。旅行の疲れがまだ取れていないだけに、かなりきつい。 それでも、私にとって、この貝たちは本当にかわいくて仕方がなく、かけがえのない存在なのである。自分の都合で能登の海から連れてきて、自分

私たちは貝のことをほとんど何も知らない。(はじめに)

貝は海の生きものでありながら、私たちの生活には大変身近な存在である。今の時期なら潮干狩りに行って、アサリをたくさん取ってくる人も少なくないだろう。 巻貝たちも例外ではない。イシダタミと呼ばれる典型的な磯の巻貝を初めとして、私がこれまで飼育してきたタマキビ、スガイ、クボガイ、オオコシダカガンガラ(これは日本海限定らしい)、などは、ちょっと海岸に出てみれば、どこでも見かけられる。子どもの頃に、巻貝たちと遊んだ経験を持つ人も多いのではないだろうか? しかし、私たちは実はほとんど貝のことを知らない。おいしい食べ物としても、海に行った時に必ず接する存在としても、これだけ身近であるにもかかわらず、いざ貝の生態を問われたら、まともに答えられる人はほとんどいないのではないかと思われる。 その証拠にというか、磯にいる貝たちを飼育してみようなんて考える輩は、私のような「変わり者」ぐらいしかいないし、そもそも貝類の本を探しても、なかなか手頃なものが見つからないのである。 そんな巻貝たちと私は、昨年10月末、ひょんな私の気まぐれから一緒に暮らすことになった。このブログでは、つたない文系人間の飼育方法ながら、その中で分かってきたことを、文系人間なりの視点で書き綴ってみたい。 ↓巻貝たちと「暮らす」上で、この本は大変参考になった。