鵜匠と鵜との「語らい」

マツたちを飼い始めた時、私は奥能登を出て、1年弱の間、岐阜県に仮住まいをしていた。ちょうどその頃と前後して、岐阜県の名物である「鵜飼い」がラストシーズンであった。せっかく岐阜県にいるのに鵜飼いも見ないで出てしまう(翌年にはいないことが決まりつつあったので)のは残念だったから、何とか予約を取り、既に少し肌寒い中ではあったが船に乗せてもらうことができた。

船に乗ると、鵜匠の方が鵜飼いの歴史や飼育方法などについて説明して下さった。また、動画サイトを検索すると、鵜匠と鵜たちの普段の生活のドキュメンタリーなども見つかって、事前・事後にさらに知識を深めた。そこで学んだ中で最も印象的だったのは、「鵜匠は鵜たちと生活を共にし『語らう』」ということであった。これを文字通り鵜匠たちは「語らい」と呼ぶ。

私とマツたちとの共同生活も、この「語らい」に非常に近いと感じる。自然科学的な見方をすれば、鳥や巻貝と「語らう」なんてのは妄想以外の何物でもないのかもしれないが、長い鵜飼いの歴史の中で鵜匠たちがごく普通に「語らい」ということを大切にしてきたというのは、非常に重要であると考える。鵜匠と鵜は日々の生活の中でコミュニケーションを取り、信頼関係を深め、その結果、鵜も鵜匠のために一生懸命に漁をするようになる。人間とそれ以外の生きものとのコミュニケーションが可能であることを、昔の人はよく知っていたのではないだろうか?

もちろん、私とマツたちとの「語らい」なんて、鵜匠たちから見たら低レベルなものに過ぎないかもしれないけれど・・・

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