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ヌシ、今度はマツから「おすそ分け」してもらう、の巻。

塩田近くのTさんからマツたちが「おすそ分け」してもらった地元の海の干しワカメ、今度は私がマツから「おすそ分け」してもらった。 「おすそ分け」は、ネットのSNSなんか比べものにならないほど「深み」のあるコミュニケーションネットワークではないかと思う。人から人へ(時には貝へ・・・)と、手渡されるのはその「モノ」だけではなくて、「温もり」のようなものでもあるからだ。 特に食べ物の「おすそ分け」は人を幸せにする。よほど嫌いなものやゲテモノでない限り、食べ物をもらって怒る人はいない。食べ物をもらうと、みんな一様に笑顔になる。食べ物を通じて、話もはずむ。その笑顔をどんどんつないでいけるのが、奥能登の「おすそ分け」文化の素晴らしいところだ。 さて、マツからの「おすそ分け」を私は何に使ったのかと言うと・・・糠漬けの塩抜きである。奥能登には多くの発酵食品がある。どれも先人たちの長い伝統・知恵に裏打ちされた、他の追随を決して許さない完成度だ。 その中でもかなり特異なものが、「ふぐの子」と呼ばれる猛毒のふぐの卵巣の糠漬けである。ふぐの卵巣を3年間、しっかりと糠漬けすると、何故か毒がなくなる。その理由は、現代科学でもまだ解明されていない。 糠漬けの期間が3年より短いと危険だ。過去に2年半くらいのふぐの子を食べて中毒を起こした人もいるから、この3年という期間は厳密に守られている。当然であるが保健所のチェックも厳しく、定期的に製造者に講習会を行うなどして事故の再発予防に努めており、一般に流通しているものではまず全く問題ないので、安心していただきたい。 私はこのふぐの子が大好きで、毎回、輪島の朝市で15年来の付き合いになるお気に入りのおばちゃんから購入させてもらっている。学生の頃はなかなかたくさん買うことができなくて、「500円で小さいのをおまけして」と頼み込んで、お情けで赤ちゃんのゲンコツくらいの小さいのを譲ってもらい、大切に食べていた。海外にも持っていって、少しずつつまんでいた。 最近はさすがに、1000円分か2000円分ずつ「大人買い」するくらいの余裕はできた。他のものを削っても、ふぐの子にはお金をかけたいという思いもある。そのくらい、うまい。 ところが・・・私はモノの量を把握するのが大変苦手ときているため、まだ冷蔵庫に残りがたくさんあるのに、新しいふぐの子

マツ、能登の「おすそ分け」文化の恩恵にあずかる。(2)

帰宅して、マツたち8匹の無事を確認した後、塩田の親方に協力してもらって汲ませてもらった新鮮な海水で換水を行い、さっそくTさんからいただいたワカメを海水で戻し、ボトルの中に入れてみた。おそらく今までで一番長い、まる6日間近くの留守だったから、さぞかしお腹を空かせていたはずだし、一刻も早く貴重な「ふるさとの海のワカメ」を食べさせてやりたかった。 他の貝たちはともかく、マツは滅茶苦茶ご機嫌ナナメであった。私がどんなに話しかけても、こちらを向かない。この頃、マツが機嫌が悪いときになだめ役を買って出てくれている、名無しちゃん(名前がないので、文字通り名無しちゃん・・・)が、「マツ、ヌシが帰ってきたよ!」とでも言うように、ツノで何度もマツを突付いていたが、マツは頭を出しているくせに、絶対にこちらを向かないのだ。6日間のうちに、寒気も訪れたし、お腹も空いたしで、いろいろと面白くなかったのかもしれない。まあしょうがないと、私も疲れていたので、取りあえずワカメを入れるだけ入れ、点呼を取って寝てしまった。 翌朝・・・朝のあいさつをするためにマツのボトルを大きな水槽から出そうとすると、既にマツはガラスに張り付いてお出迎え。何と今までに見たことのないほど、 超ゴキゲン♪ なマツがそこにいた。「おいしかったでしょ?」とマツに話しかけると、クルクル回る「お茶目ポーズ」(別名:マッツンダンス)だけでなく、何度も身を乗り出しては私のほうを見ながらツノを振る「万歳ポーズ」(・・・と命名)まで見せる始末。ボトルのフタを開けてまたびっくり。昨晩あんなにたくさん入れておいたワカメが、きれいさっぱりなくなっている。要するに「おかわりをくれ」という意味だったのか? マツにまだ戻していないワカメの袋を見せて、「おかわり?」と聞いてみると・・・「それだよ、それ!」と、興奮状態。 これは大変、大ニュース!!!と、すぐにTさんにメールで報告。Tさんもよかったと喜んでくれた。新鮮な「ふるさとの海水」もよかったのだろう。マツはやっぱり、塩田の海の子なのだなあと実感した瞬間であった。

マツ、能登の「おすそ分け」文化の恩恵にあずかる。(1)

能登には「おすそ分け」の文化というのがある。いわば「物々交換」みたいなものだが、田んぼで取れたお米、自分の庭になった果物や、畑で取れた作物、現代に至っては、スーパーで買ってきた食材、等々を気軽に「おすそ分け」する。 いずれもいわゆる「商品価値」の高いものではないから、中には見栄えの非常に悪いものであることも少なくない。「おすそ分け」はどこの田舎にもあることだと言われるかもしれないが、能登の場合は「おいしいからもらって!」と、よい意味でのアピールが入るのがユニークなところである。変な謙遜をするよりも、相手の人を「おもてなし」したい、相手の人に喜んでもらいたい、そういう心意気にあふれている。 (なお、小声で言うが、私が食うにも困るようなピンチに陥った時、この「おすそ分け」文化のおかげで餓死せずに済んだ。あの経験は、私に本当の意味での食べ物に対する感謝や有り難さを教えてくれたと感じている。だから、今でも能登の人たちには頭が上がらない。) 実は先週半ばから、数日間、3月末以来久しぶりに能登に滞在した。なつかしい人たちにも大勢再会したが、その中で思わぬ「おすそ分け」をいただいた。それは、奥能登の塩田のすぐ近くに住むTさんからの大量の「干しワカメ」であった。Tさんは近所の方から「おすそ分け」してもらったのだそうだが、大量にあるので食べ切れないうちに色が変わってきてしまって、どうしたものかと思っていたらしい。 マツはいつも何を食べているのかと聞かれたので、春に買い込んだワカメを干したり冷凍したりして、今日は輪島産、明日は七尾産、明後日は宇出津産といった風にローテーションしてやっているのだと話すと、「それならマツに食べさせてやって」と言って、縁日の綿菓子が入っているくらいの大きなビニール袋にいっぱい入った、干しワカメの袋を渡して下さった。近所の人からの「おすそ分け」をさらに「おすそ分け」というのもよくある話。でも、たぶん巻貝たちへの「おすそ分け」は、奥能登史上、これが初ではなかろうか? 塩田の前の海で取れたというから、これはまさにマツたちが親しんで食べていたはずのワカメ。塩田辺りの海岸のワカメが店などに並ぶというのはあまり聞いたことがないから、「おすそ分け」でしか手に入らない、大変貴重なものだ。しかも、船で沖に出て取ってきたものだそうだから、海辺で拾うのよりも「

マツは太平洋が苦手。

マツを飼い始めた頃、どんなエサをやったらいいのかも分からずに、取りあえず人間用の黒海苔を入れてやり、手をつけずに死んでいった巻貝たちも多い中で、マツだけはそれを食べて生き残った。だから、マツは基本的にはあまり好き嫌いがないというか、生きるためなら何でも食べてみようというたくましさがある。ところが、先日10月に私が和歌山に旅行に行った際、留守番しているマツたちへ「お土産」として買ってきた潮岬名産の姫ひじきだけは、どうしてもマツだけは受けつけないようだ。他の巻貝たちはものすごい好物というわけではなくても、この姫ひじきを結構よく食べてくれている。それなのに・・・である。 潮岬の干し姫ひじきは、それだけを専門に扱う組合があるほどの名産品。高級品として全国的に知られているものだそうだ。作る過程も伝統的な手法を使っており、聞いた話でうろ覚えではあるが、二度湯がいて干したものを保存用の土嚢のような袋に入れておく。必要に応じて水で戻して食べるのだが、他所のひじきと違って自慢できるところは戻したものがグジュグジュにならず、時間がたってもしっかりしている、という点らしい。実は9月にも潮岬まで出かけていたため、干し姫ひじきの存在は知っていたのだが、二度も湯がいているというのが巻貝たちに嫌われる原因にならないかと思って、その時は買わなかった。しかし、マツたちが食べなくても私が食べればよい話だし、本当に立派なひじきだったのでどうしても欲しくて、それもあって遠路はるばる再度10月に出かけ直した。 地元の漁協スーパーを覗くと、生っぽいひじきがビニール袋に詰められて、生鮮食品コーナーの冷蔵陳列棚の中に並べてあった。1袋150円。海藻は冷凍保存が利くことを春に能登で買い溜めたワカメ等で知っていたし、生っぽいほうがおいしそうに見えた。実際にはこれは、乾燥ひじきとして保管されていたものを水で戻してすぐに使えるようにしただけだそうだが、「貝殻や砂が入っていることがありますので、ご注意下さい」との注意書き通り、かなり天然に近い状態だったので魅力的だった。毎日定期的に入るものではないと聞き、スーパーの方にお願いして、帰る日まで冷凍保存しておいて頂いた。 そして、前回買いそびれた干し姫ひじきも手に入れた。本来は潮岬のすぐ近くの大島の観光地に出ている屋台のおばちゃんからお手製のものを買おうと思っていた

鵜匠と鵜との「語らい」

マツたちを飼い始めた時、私は奥能登を出て、1年弱の間、岐阜県に仮住まいをしていた。ちょうどその頃と前後して、岐阜県の名物である「鵜飼い」がラストシーズンであった。せっかく岐阜県にいるのに鵜飼いも見ないで出てしまう(翌年にはいないことが決まりつつあったので)のは残念だったから、何とか予約を取り、既に少し肌寒い中ではあったが船に乗せてもらうことができた。 船に乗ると、鵜匠の方が鵜飼いの歴史や飼育方法などについて説明して下さった。また、動画サイトを検索すると、鵜匠と鵜たちの普段の生活のドキュメンタリーなども見つかって、事前・事後にさらに知識を深めた。そこで学んだ中で最も印象的だったのは、「鵜匠は鵜たちと生活を共にし『語らう』」ということであった。これを文字通り鵜匠たちは「語らい」と呼ぶ。 私とマツたちとの共同生活も、この「語らい」に非常に近いと感じる。自然科学的な見方をすれば、鳥や巻貝と「語らう」なんてのは妄想以外の何物でもないのかもしれないが、長い鵜飼いの歴史の中で鵜匠たちがごく普通に「語らい」ということを大切にしてきたというのは、非常に重要であると考える。鵜匠と鵜は日々の生活の中でコミュニケーションを取り、信頼関係を深め、その結果、鵜も鵜匠のために一生懸命に漁をするようになる。人間とそれ以外の生きものとのコミュニケーションが可能であることを、昔の人はよく知っていたのではないだろうか? もちろん、私とマツたちとの「語らい」なんて、鵜匠たちから見たら低レベルなものに過ぎないかもしれないけれど・・・ 【関連記事】 生きものと「語らう」ということ

「おしくらまんじゅう」

今夜の東京はかなり冷え込んでいる。 夜更かしをしていて、うっかりマツたちのボトルの入った大きな水槽に銀シートをかぶせていないことに気づいた。 この頃は温度差をできるだけなくすため、夏の頃から取り付けている水槽周りの銀シートに加え、夜間は窓のところに二重にした銀シートをカーテンの上からぶら下げ、さらにダメ押しのように水槽の上から銀シートを1枚かぶせているのだ。 銀シートをかぶせ忘れたので、寒いのではないかと心配になってボトルの中を覗きにいってみると、マツたちは寒い時期に恒例(?)の「おしくらまんじゅう」をやっていた。巻貝たちに人間のような「体温」はないと思うのだが、寒いとみんなで固まって寒さをしのぐのは人間やよく見る動物たちとあまり変わらない。 それが、外からの風を防ぐための習性なのか、たとえ巻貝であってもみんなで固まっていると少しは温かいと感じるのか、どういう理由でなのかはまだ今ひとつよく分からずにいる。 ボトルのフタを開けた途端、ミドリがこっちを見て、必死で身を乗り出してアピールしていた。ここ数日、マツはちょっと体調を崩したのかおとなしめだったが、ミドリはとても元気で、何かにつけて私にしっかりと自己主張をしてきていた。もちろん今回のアピールは「寒いよ!寒いよ!」であろう。 私ですら、窓際でパソコンをやっていて急な冷え込みにびっくりしたほどだから、当然である。私の部屋にボトルを持ってきて、軽く暖房を効かせたところで休ませようかとも思ったが、今までずっとTEGARU(テガル)の水温管理下に置いているので、急激な変化はないほうがよいと判断し、忘れていた銀シートを上からかけてやった。 温度計の数値を見る限り、今日の水槽内の最高気温は23度台。最低気温は19度台。一方、TEGARUによってコントロールされている水温は20度設定で、最高21度台、最低19度台である。ざっくり考えて、気温の4度差をTEGARUが2度差まで調節してくれていると考えてよいだろう。 マツは去年の今頃にも、ちょっと体調を崩して、随分心配したものだ。マツは大きい図体の割には寒いのが大嫌いである。他の貝たちが元気に動き回っていても、寒い日はマツだけは嫌いなはずの水の中でじっとしていたり、自分の居心地のよいお決まりの場所を見つけて、そこで微動だにしない。 こんな風な巻貝たちの