「水槽の中に生態系を再現する」難しさ

水槽の安定は、ある日突然脅かされる。しかもそれは決して目に見えない。これが水生生物を飼うことの、最大の難しさ・恐ろしさと言えるだろう。

私は、学生時代、生物をまともに勉強しなかった。いや、できなかった。図を見たり、観察してスケッチしたりということに大きなハンディがあって、苦痛以外の何物でもなかったからだ。仕事柄、今でも小・中学校の理科の教科書や参考書を読まなければならないことがあるが、生物の範囲はやはり読むのがとても苦痛である。

そんな状態であるから、私はマツたちを飼い始めたときには、水に棲む生きものを飼うということが、こんなに微妙で不安定なバランスの中に成り立っているなんて、まったく知らなかった。

今でもよく分かっているとは言えないが、一言で言えば、アクアリウムをするということは、「水槽の中に生態系を再現する」という壮大な試みなのだということになる。それはある意味「自然に対する人間の挑戦」という、かなり恐れ多い行為と言っても過言ではない。

特に海洋生物の飼育は難しいのだということも、マツたちを飼い始めてから知った。最初の1ヶ月は、とにかく次々と個体が死んでしまい、悲しくて、虚しくて、常に罪悪感を覚えていた。大好きな能登を、自分の手で次第に破壊してしまうような、そんな胸の痛みさえ覚えて辛かった。

水槽にバクテリアがほどよく繁殖し、PH値が弱アルカリ性に保たれ、アンモニアを分解する過程で発生する毒素が生体に影響しないレベル・・・つまりこれが「水槽の安定」なのだが、そこまで持っていくには、かなりの時間と根気が必要だ。そして当然、その間にある程度の個体を犠牲にする覚悟は必要・・・ということも、飼い始めてから知った。

アンモニアや亜硝酸といった毒素が大量に発生するので、必死で毎日水替えをした時期もあった。しかし、今のボトルを使い始めて1ヶ月ちょっとたった昨年12月の半ばころから、スッと水槽は安定し、それ以来、死なせてしまうことも全くなくなった。厳寒の冬にもかかわらず、車に乗せて長距離の引っ越しに付き合わせたにもかかわらず、マツたちは私にしっかりとついてきてくれた。

・・・ところが、再び季節の変わり目を迎えたせいなのか、ここ数日、突然その安定が崩れていて気が気ではない。朝起きる度に、ボトルのフタを開けるのが怖い。1匹でも具合が悪そうな個体を見つけると、それだけで一日中気分が落ち込み、心配で心配で仕方がない。「生態系」という目に見えない、壮大なシステムを相手にすることには、常に覚悟のようなものが要求され、そのプレッシャーたるや、決して小さなものではないのだ。

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