「教科書通りにやることだけがアクアリウム」なのか?――「前例のない道」を歩いて分かってきたこと。

水槽の夏対策で本当に頭が痛い。

一般的な水槽システムならば、だいたいどんなクーラーを使えばいいかカタログ値で分かりそうなものだが、私の場合はまったく独自のシステムを自分で考えなければならないからだ。ただでさえ不器用で空間把握を要する工作系のものが大の苦手だというのに。私はこうやって文章を書くのは何時間でも何文字でも苦にならないが、工作系の作業は30分もやっているとあっという間に目が回ってくる。小学校では図工の時間が、中学校では美術や技術・家庭の時間がまさに「地獄」であった。凸凹人間の最大の弱点である。

今般の水槽システムについては、誰に相談しても「やってみないと分からない」という答えしか返ってこない。このブログの趣旨とは違うし、個人情報でもあるので現時点では深くは語らないが、それは私の人生そのものを象徴していると言ってもいいほどで、今に始まったことではない。とは言え、「前例のない道」を自分で切り開くのには毎度多大な勇気と心身のエネルギーを必要とする。若い頃にはそれこそが生きがいだったが、最近は「いつまで続くんだろう、こんな生活・・・」とウンザリすることも少なくない。「年を取ったな・・・」と、その度に痛感する。

ただし、こういう前例のない道を歩いてみないと分からないこともたくさんある。言い方は少々乱暴だが、こういう道を歩いた人間にしか気づけない「社会の歪み」や「他人に対する接し方・見方」というものがあるのは間違いない。いろんな人に前例のないことを相談してみると、残念ながら馬鹿にしたりあざ笑ったりする人が9割以上と思ったほうがよい。これはある意味、世の中全部を敵に回したかのような状態だから、その精神的なプレッシャーは尋常ではない。ところが、それにもめげずにさらに進んでいくと、ある日突然、本気で同じ目線で一生懸命考えてくれる人に出会う。この「他人と共有できた」瞬間の喜びや感動は、前例のない道を歩いた者にしか得られない貴重なものと言える。そしてそうやって「共有」できた人たちとは、長いお付き合いになることが多い。

今回のことでも、奥能登の方々や生物学をご専門になさっている研究職の方々、大型ホームセンターやアクアリウムショップの店員さん、アクアリウム用品のメーカーのインフォメーションセンターの方々など、さまざまな方々に随分お世話になったし、今もお世話になっている。アクアリウムショップや用品メーカーでは「前例のないことをやろうとするあなたが悪い!」と罵倒にも近いようなことを言われたり、はなから客扱いされずに冷たくあしらわれることも多くて、随分落ち込み、また、憤ったりもした。しかし、それを繰り返す中でようやく出会った「身を乗り出して話を聞いて下さる方々」とは、一風変わった深い心の交流ができてとても嬉しかった。

例えば、あるアクアリウム用品のメーカーの技術者の方は、「最近は自分で水槽システムからすべてをオリジナルでやろうとする人は、ほとんどいなくなってしまいました。本当はそういうのがアクアリウムの楽しみだと思うんですけどね。あなたのような人はとても珍しいですね」と言って、私の面倒くさい質問攻めに対しても根気よく数値データを織り交ぜながら、論理的かつ明確なアドバイスをして下さったので、とても助かったし、まったくの門外漢の私でも変なコンプレックスを感じることもなく落ち着いてよく理解できた。大きく立場や専門性の違う相手が理解できるように説明する難しさを、人に教える仕事もしている私は日ごろから身をもって実感している。だから、こういう人に出会うと、大げさでなく尊敬の念を抱く。

前例のないことをするのはとても苦しく辛い。そしてそれを「悪いこと」と捉える人たちが多いことにも驚かされる。私は決してアクアリウムをやっている人すべてを批判するわけではないが、そのメーカーの技術者の言葉通り、「教科書通りにやることだけがアクアリウム」という価値観の人がとても多いことは、ネットでその手の情報を検索してみればよく分かる。Q&Aサイトのような場所でも紋切型の答えしか返ってこなかったり、オリジナルなやり方を検討している人を攻撃する人が非常に多い。これはたぶんアクアリウムの世界だけの現象ではないと思う。昨今、社会全体がそういう一種の「全体主義的なもの」にからめ取られつつあることを、私は大変危惧している。

話が完全に逸れてしまったが、具体的に検討中の水槽システムについてはまた後日。

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