巻貝が藻をかじる「音」――ボトル飼育だからこそ気づけた興味深い生態!
私はボトルアクアリウムにこだわり続けるつもりはない。マツたちが元気で人生ならぬ「貝生」を少しでも楽しんでくれるなら、いくらでも違う形で飼育を続ける覚悟である。私はアクアリウムがしたいのではなく、マツたちと一緒に暮らしたいだけなのだ。
ただ、ボトルで飼育してきたからこそ気づけたマツたちの興味深い生態というのが、いろいろとあったことはたしかだ。最も私が気に入っているのは、マツたちが岩の藻をかじる音である。それは「カリカリ」とか「ガジガジ」とかいった、耳を澄まさないと絶対に聞こえない本当にささやかな音だ。
マツたちのような「シタダミ」は小さな歯のようなものを1本持っており、それで目に見えないような微小藻類を岩からかじり取って食べる。ガラスに張り付いて一生懸命に口を動かしているときには、その小さな歯がよく観察できる。
このかじり取る「音」だけは、海で観察しても、本格的な研究用の水槽で観察しても、絶対に聞こえないのではないかと思われる。止水のボトルの中で飼育したからこそ、私は彼らが一生懸命に生きようとしている姿を、この「音」を通じてリアルに感じ取ることができた。大げさでなく彼らのその「音」から感じる生命力に励まされてきた。
これから夏に向けて、今のままの形態では飼育が難しくなるだろう。水槽用のクーラーも入れなければならないし、そのための水流ポンプも動かすことになる。マツたちに快適な夏を過ごしてもらうためには仕方がないのだが、この「音」がこれからはあまり聞けなくなるのだと思うと、ちょっと寂しくもある。
ただ、ボトルで飼育してきたからこそ気づけたマツたちの興味深い生態というのが、いろいろとあったことはたしかだ。最も私が気に入っているのは、マツたちが岩の藻をかじる音である。それは「カリカリ」とか「ガジガジ」とかいった、耳を澄まさないと絶対に聞こえない本当にささやかな音だ。
マツたちのような「シタダミ」は小さな歯のようなものを1本持っており、それで目に見えないような微小藻類を岩からかじり取って食べる。ガラスに張り付いて一生懸命に口を動かしているときには、その小さな歯がよく観察できる。
このかじり取る「音」だけは、海で観察しても、本格的な研究用の水槽で観察しても、絶対に聞こえないのではないかと思われる。止水のボトルの中で飼育したからこそ、私は彼らが一生懸命に生きようとしている姿を、この「音」を通じてリアルに感じ取ることができた。大げさでなく彼らのその「音」から感じる生命力に励まされてきた。
これから夏に向けて、今のままの形態では飼育が難しくなるだろう。水槽用のクーラーも入れなければならないし、そのための水流ポンプも動かすことになる。マツたちに快適な夏を過ごしてもらうためには仕方がないのだが、この「音」がこれからはあまり聞けなくなるのだと思うと、ちょっと寂しくもある。