「妄想」か「真実」か?――このブログはまったくもって「科学的」ではない。

ブログを作る前、最初の記事に絶対書こうと思っていたのにすっかり忘れていた大事なことがあったので、今日記す。

既にお気づきの方も多いと思うが、このブログはまったくもって「科学的」ではない。たしかに、水槽の管理にはある程度科学的な知識が欠かせないし、そういった最低限のことは私ももちろん勉強しながらやっている。その結果分かったことは、同じようなことをしたい人たちの参考になるかもしれないから、できる限りここに書こうとは思っている。

だが、以前の記事でも述べた通り、このブログの趣旨の第一番の目的は私の思索であり、第二番は奥能登の魅力を伝えることであり、水生生物の飼育そのものは第三番かそれ以下に過ぎない。マツがたまたま海に棲む巻貝だったというだけで、マツが鳥だったとしても犬だったとしても、はたまた人間だったとしても、おそらくこのブログは成り立つし、私はそのマツの姿を書こうと思ったに違いない。

完全なる理系の人たちからすれば、私のマツたちに対する接し方は、あまりにも擬人化され過ぎているときっと感じることだろう。もしかしたらこの「マッツンの主」なる謎の人物は、かなり危ない妄想に支配された、近づかないほうがよいタイプでは?と警戒すらするかもしれない。そう、たしかにこのブログに書かれていることの大半は、文系人間の「妄想」だと言おうと思えば言える。それは私も認める。

しかしながら、やはりそれもまた「真実」であると、私はマツたちと出会ってから半年の間に次第にはっきりと感じるようになってきた。毎日じっくりとマツたちを観察していると、どんなに小さい彼らにも「心」があり「意志」があると感じられる瞬間がある。この頃は、マツたちの表情も次第に分かるようになってきた。そうやって私が感じ取った彼らの「心」や「意志」が本当にその通りなのかどうかは、残念ながら彼らに人間の言葉で確かめることはできない。だから、私が彼らを誤解している部分も大いにあるだろう。しかしそれでもやはり、人間の言葉で確かめられることだけが「真実」ではない、と私は考えている。

私の「妄想」を信じるか、信じないか、それは読者の皆さんにもちろんお任せする。だが、私は自分がマツたちとの関係の中で感じ取ったもの、そこに見たものを書き、伝える「責任」があると心のどこかで思っている。それが、マツたちに私の人生に付き合ってもらっていることに対する、せめてもの「恩返し」だと考えている。そういうわけで、このブログはまったくもって「科学的」ではないし、しばしば文系人間の「妄想」が多々混じり、また、私自身の将来に向けての「創作ノート」的な意味合いも込められているという点は、あらかじめご了承の上で、お読みいただきたい。「妄想」を一緒に少しでも楽しんでいただければ、これに勝る幸いはない。

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