「1周年」

マツが奥能登の海を離れて私と一緒に暮らすようになってから、この10月20日で1年になった。マツが一番古株だが、他の貝たちも12月までには順次1周年を迎える。1年間、とても長かったような、あっという間だったような、不思議な気持ちである。

去年のちょうど今頃は、食べるつもりで取ってきたはずのマツたちをどうしても食べる気になれず、かといってどうやって飼っていいかも分からず、とても焦っていたのを覚えている。マツはマツで、奥能登の海岸で片手鍋にいきなり放り込まれて(つまり、最初から「調理」が前提だった・・・)、そのまま当時私が住んでいた岐阜県まで連れて来られて、キッチンで糞まみれになりながら放置されていたのだから、とても辛い時期だったはずだ。今、あの時の状況を思い出すと、ゾッとする。よくマツはそんな過酷な状況を生き延びてくれたと思う。無知とは本当に恐ろしい。かわいそうなことをしてしまった。

その後、いろいろな方々の助言をいただきながら、試行錯誤で今のような飼育方法に取りあえず落ち着いたのが昨年11月半ば。年末には、厳寒の中をボトルのまま車に乗せて東京まで一緒に引っ越し。そして、初めての夏にはこのブログにもある通り水温管理で大変苦労したし、そのせいなのか死んでいった貝たちも少なくなかった。まさに「激動の1年」だったが、何故かマツだけはいつもずっと安定して元気でいてくれた。飼い始めた頃からマツの生命力に感嘆し「コイツとは長い付き合いになるなあ」と思っていたのだが、本当にその通りになった。

気づけばいつの間にか去年の倍くらいの大きさになってしまったマツは、貫禄十分な一方で、最近、心なしか年寄り臭い行動が増えてきたように思う。あらためて考えてみると、マツの年齢を私は全く知らず、推定すらできない状態なのだ。巻貝の寿命は一般に3~4年と言われているが、昨年の時点でのマツの姿を思い返すに、まだ1歳の「若造」という感じではなかったし、ひょっとするとマツもそろそろ老齢の域に達しつつあるのかもしれない。それを思うと、とても寂しい気持ちになる。

朝起きれば、ボトルのフタを開けて「マツ、おはよう」と話しかけるところから私の一日が始まる。マツも機嫌がよい時はツノを振って身を乗り出して、ちゃんと挨拶を返してくれる。前日のエサがおいしいと、「おいしかったよ」とでも言いたげに、身体全体で機嫌のよさをアピールする。機嫌が悪いとどんなに話しかけても終始「ガン無視」であるが、それがまたマツらしくて憎めない。そんな風に1年間を共に過ごしてきて、今更、マツのいない生活なんて想像もできない。2センチ以上に達したその立派なカタツムリのような貝殻(タマキビは一般に1.5センチ程度と言われており、マツはかなりの巨体である)と、濃い緑とこげ茶色の混ざった美しく個性あふれる模様を見ていると、マツもまた有限の命を生きているという事実が、どこか別の世界の話のように思われて仕方がない。

飼い始めてしばらくした頃には、1年たったら奥能登の海に戻してやろうと考えていた。だが最近は、やはり一度自然から切り離した生きものが元の場所に戻って暮らすのは難しいだろうと思うようになり、それを積極的に考えることはなくなった。一方でマツの立場を想像してみると、生まれ育った奥能登の海を思い出すこともきっとあるだろうから、命あるうちにもう一度奥能登の海を見せてやったほうが幸せだろうか?と悩みもする。一生懸命私の人生に付き合ってくれているマツは、いつもどこか「覚悟」を決めたような鋭く澄んだ目をしている。その目を見ていると、マツの芯の強さにある種の感動を覚えると同時に、何だかとても申し訳ない気持ちになる。私がマツだったら、やっぱり奥能登の海のことはいつまでも覚えていて、いつかまた戻りたい、そう思うのではないだろうか?

何はともあれ1周年。新しい1年が始まろうとしている。どんな1年になるのかは分からない。何らかの形での「別れ」も待っているかもしれない。私にできることはただ一つ、マツたちが「貝に生まれてよかったな」と思ってくれることをひたすら願いながら、一刻一刻を大切に共に過ごし、同じ地球に生まれた仲間として対等な目線で「語らい」続けることだけだ。

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